hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

神様仏様の存在への考え方について

回答数回答 2
有り難し有り難し 14

私は神様仏様は宗教関わらず存在していると考えています。
どれか1つの神様仏様を信奉している訳ではありません。
日本には八百万の神という言葉がある通りどの宗教の神様も実際に存在していて、お寺、神社、教会等それぞれ神様仏様へ対してのマナーが違う場所だと考えていました。
それを友人に話したところ、変だと言われました。
お願い事はどうするの?と聞かれたので、そもそも神様仏様のお家に行っていきなりお願い事叶えて下さいは、人間でもされたら嫌な事神様仏様にしない。
お邪魔してますくらいの挨拶しかしてないと言ったら偽善的と言われてしまいました。
そんなに私の考え方はおかしいでしょうか?

2024年8月24日 17:00

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談読ませていただきました。
まず、貴方が神様や仏様の存在を信じ、どの宗教にも敬意を持って接する姿勢は非常に美しいと思います。日本の八百万の神という考え方も、自然界や人々の中に多くの神性を見いだす素晴らしい思想です。それに基づいて行動している貴方の姿勢には、真心があり、それだけで尊いものです。
神仏に対する礼儀として「お願い事を叶えてもらう前に挨拶をする」というスタンスも、非常に敬虔であり、自然なことだと思います。いきなりお願いをするのではなく、まずは感謝や敬意を示すことは、人間関係と同じく、神仏に対しても重要な礼儀です。そのように思って行動していることは、決して「偽善的」ではなく、むしろ真の信仰心の現れだと感じます。
貴方の信仰が「変だ」などと友人に言われたとしても、その言葉をすべて受け入れる必要はありません。信仰や宗教は非常に個人的なものであり、それぞれの人が自分自身の信念に基づいて行動することが大切です。他者の意見に左右されるのではなく、自分が心地よく感じる信仰の形を大切にしてください。
また、「挨拶しかしていない」という貴方の行動は、よく考えられたものです。神仏との関係を丁寧に紡いでいくその姿勢には、真心がこもっており、自分の信仰に誇りを持って大切にしていって欲しいと思います。
信仰や宗教のあり方については多くの考え方がありますが、一つ一つが尊重されるべきものです。貴方の信仰心が自分自身や周囲の人々に良い影響を与え、心の安らぎをもたらすものであれば、それは何よりも素晴らしいことです。
貴方がこれからも自身の信じる道を歩み、神仏に対して真心を持って接し続けることを応援しています。どのような神様や仏様を信じるか、それがどのような形であろうとも、貴方の心に安らぎと平和が訪れることを心から願っています。心からの祈りを込めて。

2024年8月24日 18:46
{{count}}
有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
このお坊さんを応援する

自分なりの信仰のあり方を大切にする

お悩みの件、拝読いたしました。神様仏様の存在について真摯に向き合う姿勢は、とても素晴らしいことだと思います。

まず、神仏の実在については、科学的に証明することは難しいのが現状です。しかし、それ以上に重要なのは、信仰がその人の人生にどのような影響を与えるかということです。

日本には「八百万の神」という考え方がありますが、これは多様な信仰を認める寛容な精神の表れだと言えます。どの宗教の神様を信じるかではなく、信仰を持つこと自体に意味があるのです。

お願い事に関しては、神社やお寺に行って遠慮なくしていただいて構いません。神様仏様は、皆さんの思いを聞くことを喜ぶはずです。ただし、お願い事の本質は、自分の願いを言葉にして心に刻むことにあります。つまり、神様仏様に伝えることで、自分の目標を明確にし、それに向かって努力する決意を固める機会になるのです。

友人から「偽善的」と言われたことについては、気にする必要はありません。信仰の形は人それぞれです。大切なのは、あなたが信仰を通じて心の安らぎや生きる指針を得られているかどうかです。

最後に、神様仏様の存在を信じることで人生が豊かになると感じるのであれば、それは素晴らしいことです。信仰は、困難な時に心の支えとなり、日々の生活に意味を与えてくれます。

あなたの考え方は決しておかしくありません。自分なりの信仰のあり方を大切にし、それを通じて人生をより豊かなものにしていってください。

合掌

2024年8月25日 7:06
{{count}}
有り難し
おきもち

蓮城院というお寺の副住職。 主に坐禅をしたり、庭掃除をしたり。 ハスや...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
私の考え方が真心があると言っていただけて、とても嬉しく思います。
挨拶をするのは当たり前だと思っていたので、真の信仰とまで言っていただけたお陰で、自分の考えに自信が持てました。
友人に偽善と言われて落ち込んでいましたが、気持ちが楽になりました。
これからも自分のこの考え方を大事にしていこうと思います。

回答ありがとうございます。
神様、仏様に対する姿勢を褒めていただいて嬉しく思います。
神様、仏様もお願い事聞くのは喜ばれたりするのですね。
本質としては自分の願いを心に刻む。
なるほど、お願い事はそういう風にするのですね。
今後、自分の中で強く達成したい願いがある時にはお願い事をしてみようと思います。
考え方が変じゃないと言われてホッとしています。
これからも自分の信じてる信仰を大事にしていこうと思います。

「仏教全般」問答一覧

寝込んで弱気な私。仏様の気持ちが知りたい

 …疲れた。訪問看護師さんが言うには、「頑張りすぎ」だそうです。  夏風邪がまだ万全じゃないのに、「熱下がったから平気!」と イキってデイケアの訓練行った。いつもの倍ピリついて頓服 飲みまくった。次の日動けなかった。  その1週間後の診察。家と病院間、所要時間2時間。往路は 電車で行けたけど、復路で体調最悪。タクシー呼んだ。  その夜。日向灘地震。そんな体を引き摺って、アパートの 入居者さんの食料三日分を買いに、その辺の店をヘルメット 被って走り回った。  さらに次の日、私が住む東京は震度3。震源は南海トラフ 近く。夜通し消火器の場所を探して歩いた。  また次の日。電池やら懐中電灯やらランタンやらでかい 鞄やら、重い物資を買って回った。翌日寝込んだ。  1日寝たから大丈夫かな~って過信して、やっぱり片道2時間 かかるお寺に行って、30分護摩でお経あげた。疲労は確かに蓄積 しており気分変調障害発生。寝込むことに。  きょう、寝込んで五日目です。ご飯をしっかり食べて、寝て います。早く元気になりたい。  私は、祈願寺のお不動様の画像をスクショ、また、お不動様の 木札を括り付けた手足付き抱き枕(作った)に抱かれながら 寝っぱなし。  私は将来、自分の力でアパート経営の経費を稼ぐことを目指して います。A型という働き方で就労しようとしています。これは、 同僚が全員精神や知的の障害者で、現場監督が福祉資格者さんという 職場です。  でも、私は障害者が苦手です。怖いし、一緒にいると彼らの 「波長」に飲み込まれイライラしたりするのです。  でも、働きたければ慣れなければいけない。  私は浄土宗なので、阿弥陀様を本尊としています。 浄土信仰のほかにも、不動尊信仰も持っています。私の夢は、 人間界でこんな体のため子供を育てられない分、極楽往生して 浄土で修行して清らかな体になったらお不動様に嫁ぎ、お不動様の 子供を産み、強い眷属に育てることです。  それほど強い信仰を持っています。  でも…お不動様は、阿弥陀様は、こんな弱い私をどう思ってる んだろう?弱いだけでなく、他の障害者が嫌い!と言って威嚇したり する(最近は深呼吸したり薬飲んだり努力して抑制している)私を どう思って浄土から、宮殿から見てるんだろう?  私は受戒者として、念仏行者として、どうなんだろう?

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ