ビデオゲームと三宝への帰依について
趣味でビデオゲームをプレイしている仏教徒です。
信仰に関わる点で気になることがあり、お坊さんのご意見をいただきたく投稿させていただきました。
一部のゲームには、進行状況をセーブするために「神社で手を合わせる」、あるいは報酬を得るために「神像を拝む」といったゲームメカニクス、さらにはクエストの中で「架空の神に供物を捧げる」といったものが含まれています。
これらはあくまでゲーム内の仮想世界での操作であると理解していますが、仏教徒として三宝への帰依を考えたとき、こうした行為がその帰依に反することになるのか、戒を破ることになるのか、悩んでおります。
ご指導いただければ幸いです
強迫性障害、地獄を恐れる、仏教の帰依を失う事を恐れる、破戒を恐れる
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
レクリエーションなのですよね。楽しんだらいいんじゃないかしら
気にしなくていいでしょう。あくまでも、設定・キャラクター・フィクションであり、レクリエーションなのですよね。楽しんだらいいんじゃないでしょうか。
楽しみと信仰
ご相談ありがとうございます。
真面目に信仰と向き合っておられるからこその悩みですね。
結論から申し上げると、
ゲーム内での行為が、そのまま帰依を損なうことにはなりません。
仏教で大切にされるのは、
「何をしたか」よりも「どんな心でそれをしたか」です。
今回のケースは、
・現実の信仰対象として拝んでいるわけではない
・あくまで物語や仕組みの一部として操作している
つまり「信仰」ではなく「表現・遊び」の領域です。
たとえば仏教でも、
・物語の中で神や鬼が登場したり、
・ 比喩的な表現として扱われることは多くあります。
それと同じように、
ゲーム内の行為は象徴的なものと捉えて差し支えありません。
ですので、
◎三宝への帰依に反する
◎ 戒を破る
といった心配は、基本的には必要ありません。
ただし一つ大切な視点があります。
それは、自分の心がどう動いているかを見ること
もし、
・ゲームの中の行為に強い信仰心が向いてしまう
・現実の信仰よりも重く感じてしまう
そういった状態であれば、少し距離をとることも必要です。
しかし今回のご相談のように、
「これでいいのか」と気づけている時点で、
すでにしっかりと軸は保たれています。
むしろその姿勢は、信仰を軽んじていない証です。
形にとらわれすぎず、
心の向かう先を大切にしていれば、
帰依は揺らぐことはありません。
どうか安心して、
楽しみと信仰、どちらも大切にされてください
質問者からのお礼
古川玄峰さま、
メッセージありがとうございます!ゲームは信仰と帰依を損なわないと理解し、安心しています。今から、心配せずに楽しむようにします。ご指導大感謝します!
中田 三恵さま、
メッセージありがとうございます!ただの遊びだから楽しんだらいいと分かっています。今から、安心して楽しむようにします。ご指導大感謝します!



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