過去の罪を知っている方との付き合い方
こんにちは、ご覧下さりありがとうございます。過去にだれかを傷つけたことを悔いて日々善き人になれるように研鑽している途中の者です。
しかし、改心して新しい環境へ行ってもだれかが自分の過去の罪を知っているのではないかという恐怖にどうしても苛まれます。過去に罪を犯した者は、新しい他人からそれを知られるかもしれないという恐怖に怯えることも含めて罪滅ぼしだと思っております。でも、だれかの何気ない行動に過去の自分がいけなかったのかもしれないと毎日悩んでしまいます。
もし過去の自分の罪を知っている人がいたとしたら、それでも善き人になれるように研鑽し振る舞いその人に接したら大丈夫でしょうか。それすらも偽りになってしまうのでしょうか。どのように生きたらよろしいのか、おこがましくも助言を頂きたいと思っております。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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安心なさって下さい
拝読させて頂きました。
あなたが自ら犯してしまった過去の罪について知られてしまうのではないかと不安にお感じなさっておられることを読ませて頂きました。あなたの過去のことはわからないですけれども、あなたがそう不安に思ってしまうこと心よりお察しします。
あなたがそう心配なさるお気持ちもわかります、過去に犯した罪を知られたくないと思う気持ちが沸くのも当然だと思います。あなたがそう思うのは極めて自然なことですからね。誰だって過去やってしまったあやまちやミスや罪を知られたいと思う人はいませんからね、それはあなたに限ったことではないのです。誰だってそんな過去のことを知られたいて思っていますからね。隠したい知られたくない、そんなことで自分をおとしめたくはないと誰だって思うでしょう。それが人間ですからね、当たり前だと思います。
ただ生まれてまもない子どもというか赤ちゃんならまだしも、この世の中で誰しもが大なり小なり罪を犯していますし、あやまちやミスも犯していますし、悪意や悪言や悪行を犯しています。自分が気がつかないところでも他者を傷つけてしまっていたり被害を与えてしまっていることは無数にあるのです。
何げない一言で他者を深く傷つけてしまうことは本当によくあるのです。
そんな愚かな私達であるのです。そしてそんな愚かな私達を仏様や神様やご先祖様は決して見捨てはしないのですし、見落とすことはありません。
ですからどうか安心なさって下さい。あやまちも反省して懺悔して謝罪して同じ様なあやまちを犯さない様にとしっかりと心がけていくこと、前を向いて未来にお向き合いなさっていくことが大事なのです。
ですから周りの人達に知られたら知られたであまり気にする必要ないのです。
無理矢理あばかれる様なことは人権侵害行為ですから、そのような暴露こそ問題であり罪深いことですからね、しっかりと毅然とした態度で冷静な対応なさって下さいね。
あなたがその様な過去をあなた自身しっかりと真摯に受け止めて、これから向かいあやまちを犯さない様に日々心掛け本当に大切なご縁に恵まれて皆さんとお互いを尊重し合い分かち合いながら幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
不安だった心に沁み入るご返答をありがとうございました。罪は誰かにバレてしまっても変わりないということは青天の霹靂でした。その罪ありきの今の自分でだれかの役に立てることをたくさんしたいと思います。心から感謝いたします。