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仕事が続かない夫

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有り難し有り難し 51

結婚3年目、幼い子どもが2人います。結婚する際、私が実家の近くに住みたいと夫にわがままを言ったところ、夫は私の実家の近くで仕事を探し新居を決めてくれました。しかし夫は人間関係や仕事内容を理由に1年で転職してしまいその後も上司が気に入らない、自分には合っていないという理由で3回転職しています。今の職場でもまた同じような理由の愚痴をよくもらし、続きそうにありません。毎回相談にのりますが、私がアドバイスをしてもそのアドバイスを受け入れようとせず、私の"じゃあ仕事辞めたら?"の後押しを待っているようです。そして辞めた事を責めると"辞める事に納得したくせに"と言われ参っています。結婚当初は私も仕事をしていたのですが、出産をきっかけに退職し現在は専業主婦です。夫が転職する度に出費が増え、貯金を切り崩す生活をしているので貯金も無くなり生活に余裕がなく、恥ずかしながら私の実家に援助をしてもらっている状態です。私が働きに行けばいい話なのですが子どもを預ける事などを考えるとすぐに働きに出れる状況ではなく毎日悩んでいます。生活に余裕がない為夫婦喧嘩も絶えず、子どもにも強く当たってしまう自分が情けないです。仕事が続かず喧嘩の度に"お前のわがままを聞いてここにおるんやぞ"と言わんばかりの夫に呆れてしまい愛情も薄れ正直離婚したいです。しかし夫は子どもたちをとても可愛がってくれているのでそういうわけにもいきません。こんな夫を今後どのように支えていけばいいでしょうか。育児の事もそうですが、もっと穏やかな気持ちになりたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

オレがオレがの「我(自分中心な心)」をホーム画面からゴミ箱へ

ご主人に見せてあげてください。
こんにちは。ご主人さま。
奧さんはあなたのことをとても愛してくださる素晴らしい奧様です。
あなたの事を心配してご意見を寄せてくださったのです。
善意で受け止め、最後にありがとうと伝えてあげてください。
私の知人が会社に嫌な人がいて4回仕事辞めました。
その人にはこのようにお伝えし、改善点が分かり今も仕事を続けています。
確かに何処に行ってもイヤな人はいるもんですよねぇ。分かります。
私はその人にこう言いました。
〇ムカつく人は、もう今、目の前にもいないのにいつまでも相手にしていたら悩み損だよ。
〇自分の中で高い人間性を相手に押し付けているから、より一層ムカつくんだよ。(その人は本当に嫌な奴でイイのです。本当に嫌な人なんだから、無理して高い人間性を要求する必要はない)
〇「自分にとって」を今から止めるとイイ。(嫌な人でしょうが、それは「自分にとって」なのです。つまり原因は自分にとってルール、自分濃度が濃いだけので、そこを薄めましょう。)
〇問題は、相手を問題視したり、問題化させる自分自身かもよ?
他の人が問題にしていないのは何故でしょう。
おそらく、取り込んでないのです。
堀北真希ちゃんのドラマじゃないですが、あまり相手にシンクロし過ぎないことです。
本当にわがことはわがこと。でも、本当は他人事は本当に他人事なのです。
奧様の事もあなたの中の幻影。奧様もご主人に対してああしてほしい、こうしてほしいは理想。
お互い「自分にとって」自分の都合・理想をぶつけあっても夫婦も人間関係もウマくいかなくなります。
まずはお子さんに謝ってあげてください。
怒って悪かったな、つらいことがあったんだ、と言ってさらけ出してください。
今日から、本当の家族になってください。
奧さんはあなたの事を本当に愛しているから、ここに相談をしてくれたのです。
悪く思ってはいけません。恥ずかしいと思ってしまったり、イライラする気持ちがあったとすれば、それが「自分にとって」というエゴ・わがまま意識なのです。それを仏教では餓鬼心といいます。
お互いに「自分にとって」という餓鬼心を無くす為に、自分が先にという、自己中心心を無くしましょう。
ガキシンの「我」を取ってキシン。寄進、喜進、帰心し合えてこそ喜心が沸きます。
お互い甘えて仲良くしてください。私どもはあなた方の味方です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

大変丁寧なご回答ありがとうございます。私自身も反省すべき点に気づく事ができました。夫にはこれらの言葉を素直に受け止めてもらえる事を信じたいです。

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