どうしても許せない友達がいます。
どうしても許せない友達がいます。
仮に彼女をAとします。
Aと私は同じ部活で、同じ目標を目指す、仲間でした。
ですが、同じ部員のBから、Aが私の悪口を言っているのを聞きました。
Aも私がAの悪口を言っていたと聞いたらしく、(言っていません)二人とも、すれ違うようになりました。
そんな中、部員の元に、私が部員の悪口を言っているという内容のメール届いたそうです。
確認してみると、同級生の部員の多くにそのメールがAから届いていました。
関係が悪化すると、親同士がそれはいけないと考え、親を含めた話し合いをしました。
そこで、今回のことは水に流し、悪口が耳に入ったらお互い確認するということが決まりました。
しかし休みが明けも、Aの態度は変わりませんでした。
朝の待ち合わせ場所に来なかったり、部活に来なかったり。
そして私たちはお互い憎むようになり、4ヶ月程もう口を聞いていません。
私は、親友になろうと言ってくれたAだからこそ、許せないのだと思います。
でも、どうしてそれほど憎い存在になったのか、私でも分かりません。
現在、私の中でAは最も憎い存在となりました。
先生には大人になれ、そう言われたのですが、許そう、許さなきゃと思っても、許せない気持ちは変わらないのです。
Aの顔を見るたびに、○ネ、○ズ(汚い言葉なので、伏字にさせていただきました)と思うようになりました。
私はそんなことを思う自分も嫌いです。
仲直りするなら、Aの方から動いてほしいと思っています。
Aが悪いのに、どうして私が動かなければならないのか、そう思ってるのかもしれません。
仲直り以前に、どうすれば、憎しみが消えますか。
どうすれば、Aを許せるようになりますか。
分かりにくい文章でごめんなさい。
長文失礼いたしました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる
お釈迦さまの有名な言葉に、
怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である
「ダンマパダ一章五(法句経)」
というのがあります。
怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。という意味です。自分から憎しみや怨みを消すことは、本当に難しいことです。でもその怨みや憎しみがラムさんを苦しめているのですね。
ラムさんの先生が「大人になれ」とのアドバイスをされたようですが、『大人』の語言は、ブツブツ文句を言わない「おとなしい」であるとも言われています。大人とは、仏教が目指す所の、仏さまのような存在かも知れません。そこでこんな詩をご紹介します。
『こちらから』
こちらからあたまをさげる
こちらからあいさつをする
こちらから手を合わせる
こちらから詫びる
こちらから声をかける
すべてをこちらからすれば
争いもなくなごやかにゆく
こちらからおーいと呼べば
あちらからもおーいとこたえ
あかん坊が泣けば
お母さんがとんでくる
すべて自然も人間も
そうできているのだ
仏さまへも
こちらから近づいていこう
どんなにか喜ばれることだろう
※坂村 真民 著 「詩集 念ずれば花ひらく」より
いつか、Aさんを許すことができ、心に平安が訪れますことをお祈り申しあげます(。-人-。)
質問者からのお礼
大人になることを目指す前に、こちらからを頑張って実行していこうと思います。
ありがとうございました!