何度愛を求めても叶いません回答受付中
どこにも言えないので言います。
この生涯で必要な方と愛を育めた経験がありません。
求めて来る女性は人並にいました。でも、とてもじゃないけど付き合い切れない。そういう女性ばかりだった。
高望みではなかったと思っています。何気なく一緒の気持ちでいてくれる。求めるものはその程度でした。
いつも何かが阻む。現実的ではない事情があったり、「ごめんね」とだけ言って熱烈な愛を語り、去って行く女性もいた。
まるで愛に縁のない人生を歩かされている気すらする。
妥協すればいくらでも幸せになれたと思います。でも僕は妥協できなかった。
「仕方がない」で僕は結婚なんて出来ない。
どうせ生きてるんだったら、ただでさえ望まない人生を歩いてるんだから、一緒に歩く人だけは妥協したくなかった。
何がいけなかったのか分からない。これは執着に値する過ちだろうか。
絶望と希望がひしめき合う世界で、たったひとつの愛を求めて何がいけなかったのか。
動いても待ってもままならない。段々と心が冷えて行く。
自分にはやはり母を看取る事だけしか、人生の役割がないのか。
随分誰かに向かう愛を閉ざしている。僕の人生には関係のない世界。割り切って街のカップルを無視する。
もう誰かを愛せる自信がない。それでもどこかが愛を訴える。
社会的には成功しかけています。僕の言葉を求める方々もいる。それでも心は闇の中です。皆んな敬して僕を遠ざける様になった。
愛を諦めて求める声に応える事しか出来ない。
お坊さんからの回答 1件
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まだ見ぬ人が。縁はどこへ繋がっていくのか不思議なもの。
愛は、互いに惹かれ求めてこそ、成立するものです。妥協で結婚をしても、きっと不満がでますよね。
ハスノハには、恋人や夫婦の悩みも多い。愛し合いパートナーとなっていても、悩みは尽きないのです。だから、あなたの生き方もまた間違っていないのでしょう。
それでも、まだ見ぬ人がどこかにいる。巡り合っていないだけで。そう思うと、人との出会いが刺激にもなってきます。縁はどこで繋がっていくかわからない不思議なもの。そんな期待は捨てずにいたいものですね。