一人でコツコツ生きるべきか。
ここ最近、考えるんです。
一人が幸せなのか。人といるのが幸せなのか。
私は、ついこの前まで彼氏がいました。
ですが、諸事情により別れました。
友人は、年の離れた方、同い年の人がいます。
そして、叔母がいます。
みんないい人で、すごく優しいです。ありがたいです。でも、気楽に遊べる人ではないです。叔母は別です。旅行にも行きます。
けど、私は本当は現代人らしく、BBQしたり、パーティーしたり、遊ぶ友達が欲しいと思います。が、その反面、話が合わないな。と思う事が多いです。疲れてしまいます。
私が求めてるものは、心の勉強をしたり、生き方を高めていける人間関係です。
けど、そういう人となかなか巡り会えません。
趣味の場に赴いてみても、しっくりきません。
まずは、そういう人間関係の縁をいただけるように、自分を磨くことなんでしょうか。
無理に動くべき時じゃないのでしょうか。
こういう話を、心から分かってもらえる人に出会いたい。
でも、分かってもらえる可能性は低い。
だから、執着せずに、かといって諦めずに、自分を見つめていくしかないんですかね。
それまでは、一人で考え方を正しながら、コツコツ生きた方が良いんでしょうか。
そして、自分を見つめるっていうのは、どうしたら良いんでしょうか。
皆さんは、自分を見つめるのはどうされてますか?
お坊さんからの回答 5件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全てにおいての「友」を探すより、それぞれの場に親しい繋がりを
今決めなくてもいいんじゃないかしら。
きっと、どちらも楽しくて、どちらも幸せなんですよ。
どんな人とでも、一緒にいると疲れてくるものです。相手の話を聞いたり、相手の行動を見たら、何かしら反応をしていくわけですからね。それが刺激となって、一緒にいると楽しいな〜幸せだな〜って感じますよね。ですが同時に、気を遣ったり、相手に合わせたり、自分のペースばかりではいられず疲れてしまいます。家族であっても、恋人や夫婦であっても、自分の部屋があるほうがホッとしますよね。
もちろん、最初から合わない人とは付き合いませんが、気の合う人とでも、ずっと一緒にいるのは、しんどいものです。
私は、気の合う友や家族とでも、旅行は疲れます。ひとり旅が好きですし、関心のあることなら一人で行動します。でも、友達もいますし、一緒に学びや活動をする仲間もたくさんいます。長い付き合いですし、尊敬できる人達です。
友達が多そうだと思われますが、意外と一人時間が好きですし、学ぶ仲間には年長者も多い。
友が欲しいと思って見つけるものでもないですしね。気がついたら、関係者の輪が広がっていたという具合なのですよ。
学びの場には、あなたと同じように関心を寄せる人が集まるでしょう。活動をしていると、時間や都合が合う人にも出会えるでしょう。挨拶を交わしたり、交流を深めるのも良いですね。
全てにおいての「友」を探すよりも、それぞれの場に親しい繋がりを結んでいきませんか。気軽に誘える友、学びを共有し合える友など、あなたの行動で輪を広げましょう。
自分なんて見つめないほうがいい
よく勘違いされるのですが、瞑想の中で自分の心に目を向けるのは
『心を落ち着けるため』
であって、
『自分を見つめることで何かがある』
わけではないのです。
人と関わるにあたって、“自分を見つめて得られるもの”などありません
これは断言して良いです
自分をよく見つめてる人を観察してみてください
必ずと言っていいほど孤独ですから
ではどうするか
『人に聞く』ことです
私はどんな人か
私のいいところ、悪いところ
私がどう成長すればいい人になれるか
これらを近しい人に尋ねることです
なぜなら、あなたがこれから出会う人が見るあなたは、
“あなたが見つめたあなた”より
“他人が見て感じたあなた”の方が比べ物にならないほど近いからです
“あなたが思う、あなたの悪いところ”
なんて誰も見てませんが、
“友人が思う、あなたの悪いところ”
は初対面からみんなが気にしてます
そして、自分では想像つかないところでいきなり他人に好かれたり、嫌われたりするんです
自己開示しましょう
見た映画を「本当に自分はそれが好きか?」なんて問う前に、「こないだ、映画見たんだよね」と話してください
『わかってもらえる可能性は低い』なんて言わずに、
『全部開示すれば、一個くらい合うだろ』とやってみましょう
一個合えば友達になれますよ
自分への思いやりがあなたを変える
まめ 様 相談ありがとうございます。
「心を見つめるとは」色々方法はあると思います。
自分にしっくり合う方法をいろいろ試してみると良いでしょう。
私が提供するのは、
「自分の悩み苦しみにしっかり向き合うこと」
それと
「その悩み苦しみを和らげようと行動すること」
です。
つまり「気づき」と「行動」です。
悩み苦しみに向き合うことは、避けることではなく、自分の中に幸せになりたいという動機づけがあり、悩み苦しみに向き合う勇気を持ち、その悩み苦しみに共感し理解し、自分の今の状態を善悪の判断せず批判せずただ見つめるということを意識する必要があるでしょう。
そして行動には、自分を責めたり、自分をさげすんだりせず、もしあなたの傍に応援団のように励ましてくれる人が居るとしたら、その人はあなたにどのような建設的なアドバイスをくれて、優しさや思いやりを向けてくれるでしょうか?と、イメージして、自分の心を穏やかにして、どのような言葉がけや行動がいいのかを見つけていくことだと、私は思います。
ひとつの方法に過ぎないかもしれませんが、自分の思いにしっかりと気づいて、自分に思いやりを向けて行動をすることは、あなたにとってこれからのたすけとなるでしょう。
私はそう思います。
参考にしてください。
思いやりが難しい時はどうぞ遠慮なく質問してください。
しっかりアドバイスいたしますので。一礼。
一人か、人と共にか─幸せのかたち
ご相談の中で「一人が幸せなのか、人といるのが幸せなのか」という問いは、誰もが一度は抱くテーマです。特に、人との関わりに疲れを感じながらも、本当は人とつながりたいという心の揺れは、とても人間らしい自然な葛藤です。
一人でいる幸せ
仏教では「独坐大雄峰」という言葉があります。誰とも比べず、ただ自分と共に坐ることで満ち足りる境地を指します。孤独は欠けているのではなく、むしろ自分の心を磨く貴重な場でもあります。
一人でいる時間は「心を養う時間」であり、あなたが自分を深く見つめる大切な修行の時でもあります。
人と共にある幸せ
一方で、仏教の根本には「縁起(えんぎ)」という考え方があります。私たちは必ず誰かや環境とつながり、支え合いの中に生きています。誰かと笑い合ったり、支え合ったりする瞬間は、まさに「縁」の働きによって生まれる幸せです。
ですから「一人で幸せ」か「人といて幸せ」かという二者択一ではなく、両方があなたの中に共存していて良いのです。静かに一人で過ごす時期もあれば、人と共に学び合い高め合う時期もある。それが自然の流れです。
ご縁を待つのではなく「育む」
ご相談の中で「心を高め合える人間関係」を求めておられましたね。仏教では「善友(ぜんゆう)」と呼びます。善き友は、待つのではなく、自分の誠実な姿勢や学びの姿勢によって少しずつ育まれていくものです。
今すぐに出会えなくても、あなたが自分を磨き続ける姿が、同じ道を歩む仲間を自然と引き寄せます。ですから「無理に動くべき時じゃないのでは」と感じられている直感も大切になさって良いでしょう。
自分を見つめるとは
「自分を見つめる」とは、自分を責めることではありません。
瞑想や日々の呼吸に意識を向け、「今この瞬間、私はどんな気持ちか」をただ認めていくこと。それが自己観照(じこかんしょう)であり、仏教における「観(かん)」の修行です。
日記を書くことや、感謝できたことを一つでも書き留めることも、立派な「自分を見つめる」行いです。
あなたの願いは「心からわかり合える人と出会いたい」というもの。その願いは尊い祈りであり、仏さまも必ずその祈りを受け止めています。
どうか焦らず、孤独を恐れず、一歩一歩、自分自身との縁を深めながら歩んでみてください。その歩みの中で、きっと「善友」と呼べる存在と出会えるでしょう。
合掌
月に一度は、誰かと話せる機会のある場所へ行ってみる
お悩み拝読いたしました。
ひとりでいることの安らぎと、人といることの温かさ。
その間で揺れ動き、心から分かり合える関係を求めながらも、人付き合いに疲れてしまうというお気持ち、痛いほど伝わってまいりました。
ご相談の核心は、「自分の考えを分かち合えるような、生き方を高めていける友と出会いたい」という切実な願いなのだと感じました 。
まず、「ひとりでコツコツ生きるべきか」というご質問ですが、何事にもコツコツと真摯に取り組む姿勢は、誰かと出会うための一時的なものではなく、一生涯大切にしたい尊い生き方そのものです 。
自分自身を見つめ、磨いていく時間は、人生の土台となるでしょう。
ただ、その努力が、必ずしも良きご縁に繋がるとは限らないのもまた事実です 。
なぜなら、自分と完全に一致する人はこの世に存在しないからです 。
私たちはそれぞれが全く違う環境で、違う経験を重ねて生きてきました 。
考え方や価値観が違うのは、いわば当然のことなのです 。
だからこそ、たくさんの人と出会ってみる必要があります。
待っているだけでは、その貴重なご縁は訪れません 。
こちらから足を運ぶことが大切になります。
そうは言っても、また「話が合わなかったらどうしよう」と傷つくことを恐れ、一歩が踏み出せなくなるお気持ちもよく分かります 。
そこでご提案したいのは、「スケジュールを決めて動いてみる」ということです 。
例えば、「月に一度は、誰かと話せる機会のある場所へ行ってみる」と決めてしまうのです 。
それは趣味のサークルかもしれませんし、興味のある勉強会かもしれません 。
インターネットで探せば、今は様々な集いが見つかります。
大切なのは、失敗を恐れすぎないことです。
「今回は合わなかったな」それで良いのです。
様々な人がいることを知るだけでも、大きな学びとなります。
その中で、ふと「この人とは少し気が合うな」と感じる瞬間があれば、それはかけがえのない宝物です 。
焦らず、ご自身の心を大切にしながら、小さな一歩を踏み出してみてください。
その一歩の先に、あなたの人生を豊かにする素晴らしい出会いが待っていることを、心よりお祈りしております。
合掌
質問者からのお礼
皆様、ありがとうございます。
色々考えてしまう上に、寂しがり屋な性格のためどうしたものかと悩んでいました。
自分の直感も大切にしつつ、人のいる場に赴いてみようと思います。
貴重なお時間、ありがとうございます。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート
◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )