運転免許のことについて悩んでる
僕は運転免許について悩んでいます。何故かと言うと、迷いで運転免許辞めとこっかなとも思ってしまいます。それでも運転免許は憧れてしまいます。何故かと言うと、高速道路をドライブしたいからです。
僕は13万円貯めています。まだまだ40~45万円以上にはまだまだ追いつきません。
運転免許取るの辞めとこっかなとも思ってしまいますし高速道路に憧れて運転免許取ろっかなとも思ってしまいます。鉄道の旅をする度に行動範囲広げたいから運転免許取りたいと思ってしまいます。やっぱり、運転したら運転楽しそうなので運転が好きになりそうです。
せっかく原付免許頑張って受かったのでそれを生かして運転免許取得したいです。また、母親からは誰でも迷いはあると言っていました。
運転免許取得やめとこっかなとブツブツ言っている日が何日もあります。
後、お父さんやお医者さんから事故起こす可能性あるから運転控えて欲しいと言われてしまうのも不満に感じます。運転免許取りたい気持ちもあります。
お坊さんからは辞めとこっかなとブツブツ言ってるの止めるには目標を立てることなんですけど、あまり目標を立てれてません。それでも、運転免許取得したいです。
その迷いが辛いです。どうしたら前向きに運転免許取りたいって言う一択だけの日が来ますか?
1998年12月31日生まれです。大阪府出身です。 昔、東京ディズニーリゾートに行きました。スペースマウンテンに乗りました。鉄道旅好きです。阪神タイガースファンです。 栃木県の日光東照宮行きました。楽しかったです。
親が心配です。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
車だけに拘らずに、違う方法で、運転や旅の楽しみ方を広げて。
いつか必ずと希望を持つことも、未来への活力になりますよね。そのために、頑張れる!ということもあるでしょう。
ただ、何年も悩みの種になっているのも事実。どこかで、受け入れながら、それに代わる新たな目標に変えていくことも、生きる上で大切なことですよ。
高速道路を走りたいという夢。スピードが出ますし、たくさんの車が走行しています。走る気持ち良さもあるでしょうが、実際に走りますと、事故のないようにと冷や冷やもします。判断を誤り、少しでも接触をすると、大事故になり命を失う危険とも隣り合わせであるということ。
あなたが、旅行をしたかったら、原付バイクで風を感じながら、ゆっくり景色を眺めながら、道の駅で休みながら旅をするのも、また楽しいものですよ。
旅の楽しみ方は、たくさんあるのです。車だけに拘らずに、違う方法で、運転や旅の楽しみ方を広げていくことも考えてみませんか。
お医者さんの言うとおりに
お医者さんから車の運転を止められているのであれば、最終的には、運転免許取得をあきらめる1択になるでしょう。
お医者さんが心配されている原因が、治療によって心配なくなるときが来るものなのか、一生直らないものなのか、まずはそれを確認する必要がありますね。
残念だけどあきらめなきゃならない、そのようなことが人生にはたくさんありますね。
とても悔しくて悲しくて心残りだけど、お医者さんが危険だとおっしゃるなら、やはり危険なのでしょうね。
「運転免許を取りたい」と思うことは、今のあなたにとっては煩悩(悩み苦しみの原因)だと言えますね。
追記
症状をコントロールできて運転できる希望があるのですね。
原付バイクの運転も楽しいですが、高速道路を走れないので。自動車を運転できたら良いですね。
運転免許への“憧れ”を仏教的に見る
あなたの言葉から、心の中で「取ろうかな」「やめようかな」と行ったり来たりする葛藤がとても正直に伝わってきます。
この“迷い”は決して悪いものではありません。
むしろ、あなたの中に「成長したい」「世界を広げたい」という命の動きがある証拠です。
1. 「迷い」は、心が動いているしるし
お釈迦さまは、悟りに至る前、何度も迷い苦しんだと伝えられています。
迷いとは、心が“死んでいない”ということ。
あなたが「やめようかな」と思うのも、「やっぱり取りたい」と思うのも、どちらも心が真剣に生きている証なのです。
2. 「やめようかな」という声の正体
その声の裏には、きっと不安や自信のなさがあるのだと思います。
「お金が足りない」「事故が怖い」「親に反対される」
どれも現実的な心配です。
でも、それを感じ取れているあなたは、とても冷静で誠実です。
仏教では「恐れを知らないこと」よりも、「恐れを理解していること」を智慧と呼びます。
3. 「取りたい」という心の光
あなたが憧れているのは、単なる免許証ではなく、自由に動ける自分ではないでしょうか。
高速道路を走る景色、知らない街へのドライブ
それは「外の世界」への憧れであると同時に、
あなたの中にある内なる成長への願いです。
4. 目標は「取る」ではなく「進む」に変えてみる
「免許を取る」という結果だけに心を置くと、途中の不安が大きく見えます。
でも、「今日の一歩を進める」と考えると、心は軽くなります。
たとえば、
・教習所の資料を集めてみる
・費用をもう1万円貯める
・実際に免許を持つ人の話を聞く
これらもすべて「進んでいる」ことです。
5. 最後に
お母さまの「誰でも迷いはある」という言葉には、深い真理があります。
迷う心を責めず、迷いごと進むことが、人間の歩みです。
お釈迦さまも迷いの中から智慧を得ました。
あなたもまた、その途中にいるのです。
「迷いの中でも前を向いている自分」を信じてください。
その姿こそ、すでに前向きに生きている証です。
合掌
質問者からのお礼
願誉浄史様、医師から運転止められてても運転免許諦めることはありません。許可出るまでは粘り強く行きます。意に反する回答でごめんなさい。ありがとうございました。
症状がコントロール出来ていれば運転免許可能と言ってました。
これは精神疾患のネットからです。病院の先生ではありません。



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