ネガティブな感情との向き合い方回答受付中
先日は私の身勝手な話にご回答頂きましてありがとうございました。
この度は、相談、というよりかは寂しい、という気持ちが抜けなくて、落ち着かせていただく為に、ここにお話しに来させて頂いております。
前回のご相談から1週間経ち、不思議と充実しています。これいらないな、と自然に思う物を捨てる気持ちになり整理したり、本を読みたくなって本を読んだり、自然と背筋を伸ばしたくなり、腹筋に力を入れて歩いてたり、美容的な努力も続けられてます。
また、だいたいメンタルが不安定になるのは夫が契機になっている、とこの度、思いました。まだ、どうしたら良いのかわかりませんが、ただ自分が我慢すれば良い、犠牲になれば…!等、変に自分や相手を攻撃する事なく、冷静に、これから自分がどうすべきなのか、どうしたいのか考えなきゃいけない、と感じました。
さて、以前もこちらでご相談させていただきましたが、寂しい、という感情はとても独りよがりで、嫌なものですね。人によってその感じ方の態度は違うのでしょうが、私はきっと一生この気持ちを、待ち続けて生きていくような気がしています。
友人との別れ、恋人との別れ、知人・親族や上司等との死別、その内、家族・友人との死別と別れ、そして特に、子どもが産まれた時からずっと、この子が独り立ちしたら私から手放してあげなきゃいけない、という思いがあります。
遠い昔、夫から、好きだと言われると、萎えると言われた事があります。その為、好きだと伝える事がとても悲しくなりました。
子どもには事あるごとに好きと伝えて過ごしていますが、こんな母親は嫌がられてしまうのでは、愛してはいけないのでは、等、馬鹿なことがふと頭によぎってしまう事があります。寧ろ、愛が足りないからそう思うのか…悩みは尽きません。
だらだらとお話ししてしまいましたが、以前の質問から4年経った今、改めて寂しさとどう向き合い、どう付き合うのが良さそうか。
また、もし、加えてお答え頂けるなら、どう子どもを愛していけば良いか。
何かお言葉を頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。
自己愛が強いのに、自分のことが嫌いなことです。けれど愛されたい。好かれていたい、いつまでも自立できず、成熟していない。
お坊さんからの回答 1件
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受け取りましょう
こんばんは。寂しさというのは、多分「求めたものが得られない」ということへの反応なのだろうと思います。つまり、あなたは「自分にはこれがない、これが足りない」にばかり注目しているのではないかな、と感じます。
それ自体はよく分かるのです、人は1人では生きられないのですから。
でも、かつて丹下さんがお答えになったことがあなたに響いたのならば…あなたが既に与えられていること、へ目を向けても良いのではないでしょうか。
寂しいなぁ、と何も持っていない手を見たら、その手を心臓に当ててあげる。あなたを生かすために、ずっと休まず働いている心臓に心を向ける。新鮮な空気を吸い、あなたが生きたために生まれた二酸化炭素を放出し、新たな酸素を取り入れている肺を思う。
そして、お子さんには「愛情を与える」以上に、子どもの成長や変化に目を向ける。「こんなに大きくなったのね」「こんな事ができるようになったのね」を喜ぶ。子どもへ愛情を伝えるとは、よく見て子どもの何かに喜ぶという事です。つまり「受け取っていること」を喜ぶ。子どもの「見て見て!」という願いに応える。
子どもはいつか独り立ちしますが、それを支えるのは「自分は受け入れられた」という経験からくる自信です。そして、独り立ちとは、その縁が消えることではない。別の世帯を持ったとしても、受け止めてもらったという縁は消えません。「私を一人前まで育ててくれた、受け止めてくれた」という感覚は、目の前にいなくても無くなるものではありません。
あなたが生きているのは、いわばあなた以外の縁ある皆さんが、あなたを受け入れ生かしてくれているから。旦那さんに「好きだと言われると萎える」と言われるなら、「じゃ、私と付き合って人生を送ってくれてありがとう」と、感謝を伝えてみてはどうでしょう。
「お礼」欄の書き込み、ありがとうございます。
よくお気づきになりましたね!そう、子どもって「見て見て」という、とても強い願いを持っています。「愛してるって言って欲しい」よりも「見て欲しい」なのです(たぶん)。そこに答えてくれる。お母さんに願いが叶った。その経験が子どもの信頼感となり絆は深まります。いつか「後でね」と返す時もあるだろうけれど、それもまた成長への経験。良い子育ての時間を過ごされていると感じますよ。
質問者からのお礼
佐藤良文様
ご回答ありがとうございます。
佐藤様とお話しをさせて頂いて、丹下様が仰ってたお話しについてさらに理解が深められたように思います。せっかく今またこの様な壁に突き当たったので、時間が許す限り、自分と話す時間を持とう、と思っています。求める事は、いつも少し悲しくて苦しいです。
子どもについてのお言葉もありがとうございます。そんな些細な事でも良いんですね。
今日も、彼女は自分のスプーンでごはんが食べられたのが嬉しかったのか、見て!とでもいう様にとてもニコニコと笑っており、私も凄く嬉しかったです。
夫へ感謝を伝えるのはまだ難しそうです、少し宿題にさせてください。
この度はお言葉をありがとうございます。自分のペースでまたゆっくり読み返させていただきます。
どうか佐藤様も良い1日をお過ごしくださいませ。