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主体性に乏しく、外界のことに興味がない。

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人からどう思われているかとか、そういう受け身の場合のみ外界で起きていることについて考えるのですが、

こちらから、自発的に何かに興味を持つといった経験が非常に乏しいです。
おかげでこれまで十数年学生をやってきて、一度も何かについて学ぶのを楽しいと思ったことがありません。

おそらく、どうでもいいことですぐに激昂する周りの大人達から心身を守るためにこうなったんであろうことはわかっているのですが、

この凍りついてしまった主体性や知的好奇心を、どうやって溶かしていったらいいのかが、わからないのです。

なにかヒントを頂ければ、幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたがそれを選択している

あなたの質問のタイトルにもありますように、あなたが「自分はこうだ」と認めて、思い込んでいるだけです。
それを禅では「認める」「立てる」「見をもつ」などと言います。
人間は、思ったことを選択している。
人間は、思ったことになっていく。
人間は、思い込んだ自分に向かって進んでいく。
…、ということを知ってください。
あなたは「僕はこうだ」「私は昔からずっとこうしてきたから」と、自己分析をなさっているようにも見受けられますが、そこに落とし穴があるのです。
「私はこうだ」と自分の脳みそに命令をしているのですよ。
それは言い換えればあなたがそういう生き方を❝選択❞していることに他ならないのです。
「ああ、そっか、和尚のいう通り、オレは今までそういう生き方をして自分を自分で縛っていたのか」
「自分でそう思い込んでいることイコール自分をそうさせていただけだったのか」ということに気づけば、あなたは即、あなたからフリーです。
あなたは今自分の向上に関心を持っている。
外とのかかわりを断ってきたのは、その関わりの中で危険性を感じたからかもしれません。
でもその関わりは、関わり方が上手になれば傷つくことはなくなるのです。
充電期間、修養期間は終わりました。
あなたが興味がわく事は、むりに興味がある事を探そうとしなくても、これから、明日からの自分の本心が自然に教えてくれます。
自分感受性、自分のセンサー、自分自身を高める事を始めましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「知る」「思い出す」「試す」「待つ」「まかせる」

TMさん

たぶんあなたは、
自分のこと、周りの大人のこと
色々なことに気付いているのではないか
そんな感じがいたします。

興味というのは
湧いてくる

知りたい
やってみたい
夢中になってしまう
ついついしたくなる

人間が生きる力の源として
本来備わっているのだと思いますが

簡単にその本質が奪われてしまいます。

例えば
誰かにやらされる
(親や教師)

何かのためにやる
(成績を上げるため、誰かに勝つため)

となると
学びが
命令となったり、競争となったり、手段となったりと

楽しさを感じ取れなくなってしまうのかもしれません。

そういう点では
あなたの学びの楽しさは
奪われているのだと思います。

しかし、あなたはそのことに気付いておられますね。

そして

「この凍りついてしまった主体性や知的好奇心を、どうやって溶かしていったらいいのかが、わからないのです。
なにかヒントを頂ければ、幸いです。」
ということですが

何かヒントがあるとしたら

凍らせた原因を「知る」
何をしている時に楽しいか「思い出す」
とりあえず「試す」
湧いてくるのを「待つ」
後は、心に「まかせる」です

参考になるか分かりませんが、思いついたままに。

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おきもち

質問者からのお礼

お二方、回答ありがとうございました。

思い込んでいるも何も、
現実に起きていることなんですが...
私には到底理解できそうもありません。

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