黒蝶
昼間、車の運転中に10センチも開いていなかった窓から黒いアゲハチョウが車内に入ってきて私の腿の上にのりました。
片側2車線の右側を走行中に、左の窓に木の枝のようなものが当たってきたのです。
右側車線走行中なので考えにくいのですが、木の枝を窓に叩き付けられた感じでした。
私の前の車はかなり車間があいており、隣の車線に走行車両はなく、後続車もいませんでした。
私は昆虫がとても苦手なので、パニックになりましたが、幸い、他の車はまわりにいなかったので、すぐ近くに見えたコンビニのパーキングに事故を起こさず停車できました。
停車後すぐにドアを開けると蝶はヒラヒラ翔んでいきました。
よく黒い蝶は魂を運ぶと言われるようですが、何かの知らせでしょうか?
同居人に何か生死にかかることがあったらと思うと不安です。
もしくは行方のわからない兄に何かあったのでしょうか。
考えにくい状況で虫の知らせのように思えてなりません。
欧米等の宗教で変容の意味があるみたいですが、仏教でも何か意味があるのでしょうか?
仕事や同居人のことで辛い思いをしている時期なので何か不安です。
吉兆だといいのですが。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
様々な捉え方があるかと思います。
さららさん、初めまして。日常生活であまりない経験で、ビックリされましたね。
元々私は、お寺の生まれではなく、どちらかというと風習に流されやすい家に育ちました。
「黒い蝶」もそうですが、黒猫を見ると…とか、夜爪を切ると親の死に目にあえないとか、霊柩車が通る時には親指を隠さないと親が早死にするとか、そういったことをいう土地柄でしたし、親や友人からも言われていました。
仏教を学んで感じたことは「受け止め方次第」ということです。
さららさんの状況(御兄様のことや仕事や同居されている方との悩み)を考えると、「虫の知らせ」と捉える気持ちもよくわかります。
仏教では「黒蝶を見たら不幸がおこる」とは説かれません。すべてが「因と縁と果よってなりたつ縁起のうえでなりたつ」と説かれます。
例えば、ここに花が咲いているのは(結果)種をまいて(原因)光合成をしたり水を与えられたり(縁)したからだ…というのが縁起の法則です。
さららさんの状況だから、黒蝶が不吉なものに見えるのであって、何も感じない人にとっては黒蝶もただの蝶になってしまうのです。
私の母に、似たようなことがあり、その後父親が亡くなったと知り「あれは虫の知らせだったんだ」と今でもよく話します。
当時、母の父は危篤状態だったので黒蝶を見ても見なくても、亡くなったんだろうなと私は思っていますが、母は「あれは虫の知らせだ」と言い続けます。
結果的に「蝶が知らせてくれたのかな」と考えることは、私は否定しません。
でも、「今」せっかく生きている時間を黒蝶にとらわれてしまうことは勿体ないと思います。
あるかないかで迷うのは、人間の苦悩の一つと仏教で説かれています。そのせいで、今をおろそかにするという意味です。
悪いことや悩みを黒蝶に結び付けるよりも、黒蝶との出来事があったおかげで問題に向き合ってみるという考えをしてみるのはいかがでしょうか?
質問者からのお礼
お礼が遅くなりごめんなさい。
黒い蝶で調べるとスピリチュアル的なことが多く出てくるので不安になりましたが、悪い知らせや不吉なことばかりでもないと考え方を変えてみます。
ありがとうございました。