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利用されないように自分を生きるには

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有り難し有り難し 227

私は他人にいつの間にか利用される人生を送っています。友人関係の間でいえば、最初は仲良くなって、色々話をしたり、楽しいなぁとだんだんと深まっていくのですが、

ある時になると、その先にある人の魂胆に気づいてしまうのです。これって結局利用されてるんだなぁと。例えば、何年も会っていなかったのに、いきなり結婚式の招待状がきて、いざ行ってみると、ただの人数合わせで、本人からは声もかけられず。

映画行こうよと言われ、行ってみると、これから他に会う人がいての、時間潰しの相手だったり、なら今度は自分から連絡をとってみようと連絡すれば、いつもは何もないのに、今日はたまたま時間がないのよと断たれる。

そして、遊ぼうと誘われ行ってみれば、ろくな会話もないまま、宗教の勧誘。
こんな事ばっかりなんです。私が友達だと思っていた人達は。

見る目がないと言われればそれまでですが、私はどうもこういう人達が許せないのですよ。こっちは真面目に向き合っているのに。

なんか世の中が、人間がおかしい時代がとても寂しく思います。そこまで、ウソをついてまで、人の心を、自分達の見栄や邪心を貫きたいのかと。

こういう人達に出逢った時、利用されてると分かった人達とはどう対処しますか?
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もっともっと利用されてください。

びっくりしましたか?利用されないためにはどうしたらいいのか?一つずつ、考えてみますよ。結婚式に員数合わせで呼ばれた。声さえかけてもらえなかったとおっしゃいますが、お目出度い席に呼ばれて美味しいものを食べられて幸せです。一人じゃなかなか映画に行くのも億劫なのに、誘われたら映画を見らえれたので良かった。暇つぶしで付き合わされたのなら、こちらも義理人情を考えずに付き合えるし、都合が悪ければ遠慮なく断れる相手とわかってよかった。なかなか新興宗教の話なんて聞けないのに、今回はそういう世界を垣間見ることができたよかった。利用されたといいますが、それは相手から見ての話で、あなたは付き合った側なんです。因果の法則で考えれば、相手は利用してあなたを付き合わせたんだからマイナス1点、あなたはうまく利用されたのかもしれませんが、付き合っのだからプラス1点、このご相談だけでも、あなたはプラス3点をゲットしたんです。良かったんですよ。そんな利用されたと不快に思えば、プラス3点を、0.2とか、0.3点とか、マイナスになりますよ。拙僧は何の損得もなく、ご縁があったあなた様のためだけを思い、回答させていただいたので、プラス1点です。でももう私はポイントはいりません。そんなことを考えるだけで、徳を傷つける行為だからです。そんな計算は閻魔さまにお任せして、私は阿弥陀さまを信じて、すーと極楽浄土に連れて行っていただくので、要りません。すべての源はご自身です。娑婆世界を人生修行の場だと思えば、不惜身命(ふしゃくしんみょう)です。身を惜しまないで頑張るということです。身体を使って一生懸命に働く、身体を使えばよい運動になる。創意工夫は経験として自分の人生を豊かにします。すべて、自分自身のために前向きに明るく楽しく生きるように、考え方を転換してみませんか?ホントに幸せになりますよ。利用されたと考えたら不快です。しかし、いい経験ができたと考えたら幸せなあなたがそこにいますよ。あなたが歩いたその道は人が歩いた道ではない、あなたが歩んだ道です。その道に、幸という大きな花を咲かせて参りましょう。人生感謝ですよ!!ありがとう!。拙僧も回答させていただきながら勉強になりましたよ。お幸せを祈っています。浄光寺
追伸
ご納得どころか、ご気分を害するような回答でした。お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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お互いの人間性の不完全を赦しあい自分は自分で精神向上をしよう

人生どんな経験であっても、最終的に評価を下すのは今日、こんにち、ここ、あなた、今から。
わたしゃ過去のドロ沼も良き導き、よき経験、おかげさまと考えるべきだと思っています。
その方が心は損得感情も生まれませんよ。イチロー選手も「それが良いか悪いかは乗り越えてみないと分からない」と言っています。
私にも似たような経験があります。元カノからねずみ講勧誘とかね(笑)。ア、全然へっちゃらです。泣いてなんかいません。(ToT)(へっちゃらなんかい)
人間って未完成、未発達、発展途上のまんまみんな一生懸命生きてるってことを「お互い」認め合って、赦しあうんですよ。あなただって完ぺきではないでしょう。完ぺきだったら悩まん。
あなたは相手に対して完ぺきな理想を強く描いている所があると感じます。その生き方ですと、理想的な人間に出会うことはできるかもしれませんが、いつか自分の理想が高すぎるために相手に幻滅する日がきます。仏教は人のことをとやかく言うより自分の精神向上の道、人のことで心が乱れるおのれの心をおさめる道です。
正義感・マイルールというものは、嫌いな人、悪人を憎む気持ちが生じやすくなり、その正義感で自分の心が苦しめられます。
自分の価値観にあわないと「幻の敵」がどんどん生まれます。
今も貴女は本人のいない所で、本人ではない内なる幻の相手にいらだちを起こされています。
たとえばベッキーさんに文句をいう人は多いですが、文句をいう人はベッキーさん本人ではない内なる幻影相手に争っています。実際は他人事で、直接被害をこうむった訳でないのに文句を言っている人たちばかりです。

もし相手の行為が1%ぽっちの善意であっても99%悪意であっても、あなたは正義感やマイルールを捨てて、真っ向から受けないことです。
あなただけが100%善意であればいいのです。そうすれば怒りではなく相手の人間的な発展途上を理解することができ「大変なのだなぁ」と憐れみの心すら沸きます。善意でお断りすることもできます。心も傷つきません。
お礼欄にもありますが、
仏が崇高で自身の中にもおられるのであれば、あなたがそれを行為すればよいのです。
あなたが神仏の意に叶った生き方をすれば六根清浄になり、相手を赦せるはずでしょう。

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おきもち

人間なんてそんなもの、だから弱い、だから生き方を求める

気に入らないと思った時点で切ればいい、相手の魂胆に気付いたことによって自分が耐えられないと思うのであれば以後は関わらないでいいのではないでしょうか

貴方は理想が頭の中で先行して「こうあるべきだと思う、こうあらねばならない」を人にも求めてしまうのではないでしょうか

祝儀目当てでの結婚式の人数合わせもあるでしょう、貴方はそれを経験して1つ学習したわけです、次回同じような場合は経験を踏まえて断ることだって出来るわけです
経験とは自分にとって良いことばかりではありません、よくないことも必ずあります

映画に行こうと誘われて時間つぶしであった、ということは少なくとも約束の「映画を見る」という目的は達成されているわけならいいではないですか

7時から飲み会だけどそれまで暇だなぁ、暇つぶしにその前に誰か映画でも誘うか、と。相手はもしかするとこのような考えだったのかもしれません、まったくおかしなところはありません
私も次の予定までの時間つぶしで映画見たくなったら適当に誰かにLINEします、「明日○時とか空いてる?、映画行かん?」と。
映画終わってからこの後どうするか聞かれたら言います、「今日この後予定あんねん、今日おおきにね」って、別にそれでいいではないですか

連絡を取って断られるのはしょうがありません
その人に用事があったんでしょう、いつもないからあの人は嘘をついているんだ、なんて考えはよくありません、人には人の事情があります

宗教の勧誘の場合はお断りしてもう会いたくないなら連絡を以後取らないなどでよろしいのではないでしょうか、私も経験ありますが以後連絡は取らないようにしています、それだけの話です

貴方自身が許そうと許すまいとそれによって相手が変わることはありません
自分にとって正しいことが相手にとっても必ず正しいことは無いのですからもう少し寛容になってみてはいかがでしょうか?
真面目に向き合ったから相手も真面目に向き合うべきだ、というのも1種のエゴです、相手に自分に都合のいい対応を押し付けているに過ぎません
もし「許さなかったから友人がいなくなった」と憂うことがあるならば「自分の心が狭かったのかもしれない、もっと寛容になろう」と戒めればよろしいかと思います

貴方にとっては悪でも相手にとっては正義、相手から見れば貴方が悪なこともあるかもしれませんよ

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おきもち

貴女の周りは心の映し鏡

人に利用されてばかりとお嘆きのご様子ですが、貴女は人を変えることは出来ません。

貴女自身が変わらなければ、貴女の周りは変わらないように思います。

貴女自身の心の中に、人を損得で判断する気持ちがあるからこそ、周りの友人をそのように見てしまっているのかもしれません。

周りの人たちを責めるのでは無く、ご自分の心を今一度、しっかりと見つめてみてください。

貴女が人を判断する時、どのような目で見ていますか?

まっすぐに人を見れば、質問のような気持ちは湧いてこないと思いますよ。

人を責める前に、まず自分の心を見つめてみましょう。

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おきもち

仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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質問者からのお礼

自分はいい経験だなどとは思えません。何故ならば、目の前で人をいいように口車にのせて、明らかに端から見ても騙されて、後で必ず泣くのが分かっていながら、そんな人を放ってはおけない。悪人を憎む気持ちは大切。

いじめられている人を、道で倒れている人を、知らん顔できないことと同じ。利用すれば、因念果によって賽がふられることも違う。

神仏はそんなにちっぽけな者でも、存在でもない。もっと崇高なるもの。神仏は何もしない。ただそこに存在し、自身の中にも存在する。

が、今は神仏を尊ぶことも、奉ることも、奉っていても、空社になっている事に気づかず、神事仏事を行っている神職、僧侶も多い。人間この身は六根清浄でなければならない。

この言葉の本当の意味を、果して今この時代にどれ程の人達が理解しているだろうか。あをひとくさから始まり、平成の世にまで行き着くことができたこの時代に。

もう残りは少ない。気づいて欲しい。あと4年だ。どうか早く。人は生かされている。命の尊さを知り、生かされていることに気がついたら、本当に生きる事ができる。

日本にはもう時間がない。気づこうとするものには気づくが、気づこうとしないものには何も気づかない。あと4年なんだ。目に見えぬ者達の御蔭で今の日本があることを重々心すべし。今も懸命に目には見えぬが守りを固めておられる。がこれ以上は言えない。いつまでも型あるものが続くと思うなかれ。早く一人でも多くの人達に、同じ気づきが表れることを願って。未来が続くことを願って。

謝りなど要らない
何も罪悪感など必要はない。コメントはただのコメント。害に思う事などない。とにかく時間がない。もう帰らないとならない。これが最後の書き込みになる。

どうか自分と同じ気づきがある人達が少しでもいますように。あの最悪な未来をとめられますように。今ならまだ間に合う。どうか早く気づいて。

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