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闘病中の愛猫を私のせいで亡くしてしまった回答受付中

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愛猫が治療が難しい病気にかかり、何回も危ない時期を乗り越えてもうすぐ3年目を迎えられるはずでした。様子がおかしくなるとかかりつけの病院にかけこみ、何度も元気を取り戻してくれていました。先日、様子がおかしいなと思ってはいたのに通院費の支払いが限界なこともあり、大丈夫かもしれないと判断しすぐに病院に行かずに様子をみていたのですが、午後に苦しいのではと心配になりいつもと違う病院に行きました。初めての先生が私の話を聞く前にたくさん話す方で、焦りと不安でいっぱいでしたが、今できる処置をお願いしました。
処置が終わりわたしの顔をみた愛猫はいつものように、怖かった!と言わんばかりに鳴き、申し訳なさと愛しさがこみ上がり緊張していた愛猫を毛布でくるもうと抱き合げました。
たぶんまた痛いことをされると思ったのだと思います。
急に呼吸がおかしくなり、心肺蘇生をしましたがそのまま逝ってしまいました。
先生は不思議そうにし、わたしは自分のせいと初めての先生の治療も信用できず泣きじゃくりました。
その間も、わたしに声をかけることもなく立ったまま見ている先生たちに怒りを覚え、無言で支払いをし帰宅しました。
怖がりなことを知っていたし、いつ亡くなってもおかしくない状態で生きていてくれたのに、最後にわたしが抱きあげびっくりさせてしまったこと、それが原因で亡くなってしまったこと、意識があるうちに撫でて見送れなかったこと、かかりつけの先生ならこんな最後にはならなかったと思う気持ちが消えません。
一緒に死んでしまいたい気持ちと、苦し思いをさせてしまったのに今までありがとうと見送っていいのか、ごめんなさいの気持ちでいっぱいです。
大好きでたまらなかったし、一緒に暮らしてから1番大事にしてきたつもりでした。
明日火葬です。
どうすれば感謝の気持ちを伝えることができ、どうすれば最後に怖い思いをさせてしまったことを謝ることができますか。
苦しめる気持ちなどなく、帰り道は寒いし、寒がりな子だから毛布で包んであっためてあげるつもりがまさかびっくりして亡くなってしまうなんて思いもしなかった。
とても愛していたと伝えたいです。

2026年2月12日 13:32
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

縁を尽し、縁をいただき、受け止める

ご相談拝読しました。猫ちゃんの御命終につつしんでお悔やみ申し上げます。

あなたは自分のせいだと責めますが、私はあなたのせいだとはけして思いません。仏教的にもそう考えます。

死の原因は生であるというのが仏教の見方です。生まれたからこそ死ぬ。これが生あるものの現実です。

その生から死に向かう中で数え切れない縁(えん)を私たちは積み重ねていきます。

あなたが猫ちゃんに与えてきた縁はけして命を奪おうとするものではなく、愛そう愛そうとするものであったことでしょう。

もちろん仏教は一切皆苦(苦は思い通りにならないことの意)と説くように縁も思い通りにはなりません。通院費が限界といった様に、様々な現実的制限や偶然的要素もあるでしょう。こちらの思いを超えた現実があるということです。

でもその中でもあなたはあなたの出来ることを尽してきたのだと思います。ですから最後もこれまで通りあなたなりの愛で見送りましょう。

伝えたいことをそのまま素直な言葉でかけ、手を合わせ、悼む。あとはけしてあなたがあなた自身を痛めつけないように、大切にあなたの命を生きる。

火葬すれば骨になってしまいます。それはもの凄く寂しいことですが、姿形という制限を超えた存在になることの象徴でもあります。

一切の制限を離れ、おおきな命としてあなたを包む。そのことを先人たちは私にとっての仏様であると受け止めて来ました。成仏とは霊魂が浄化されるようなことではなく、真実を教えてくれる存在(=仏様)として見出すことです。

猫ちゃんが仏様としてこれからもあなたと共に歩んでくださるご縁をいただく。それがこのたびのご命終のご縁のもう一つの大切な意味なのではないでしょうか。

2026年2月12日 14:13
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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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