愛犬の死とこれから回答受付中
15年間生活を共にし、愛してやまなかった愛犬が亡くなりました。
かわいくてかわいくて夫婦で世話をし、生活の中心だった愛犬の死。
ここ数か月は老化は持病のための介護生活を余儀なくされ、精一杯世話をしてきたつもりです。
夫婦そろっていた日曜日、愛犬もいつものようにご飯を食べ、その後急変しでも苦しまずに逝ったことがせめてもの救いです。
介護に後悔もありません。一緒に過ごした15年間の思い出も感謝の気持ちでいっぱいです。
お別れのその日も穏やかに見送ることができました。
ただ、介護の日々はやはり大変で、おむつを替え、寝る位置を変え、深夜早朝何度も起きて、自分たちの心身も限界だったことは否めません。
この子の前も2匹の保護権を見送りその時も介護を経験しています。
今の心境はすべてにおいて身軽に生きていきたい。
すごくわがままかもしれないけれど、自分に集中して、自分の幸せだけを考えていきたい。自分ファーストに生きてみたい。そういう気持ちが沸き上がります。
少しの冷たさというか、自由を渇望していたのか?とも思います。
愛犬たちを見送った喪失感と背中合わせの解放感も感じます。
悲しみや寂しさも十分に味わいながら、少しの解放感、身軽さも感じながらの複雑さ。
空虚さに幸せも感じてしまいます。
ゆっくり眠れることも、外出先で留守番の愛犬を心配しなくていいことも。
心配や不安に疲れてしまったのかもしれない。
全部を開放して今私は、身軽さを存分に味わいたい。
肩の荷が下りたというのも違います。
解放されている今に罪悪感も感じていません。
生きなおす?というのとはまた違うのですが、ほっとしている自分がいます。
それだけ大変だった介護生活。
それでよいんだよという答え合わせのお言葉をいただけると嬉しいです。
愛犬たち、安らかに眠ってください。1代目の子から3代目までの30年間、
私たちと暮らしてくれてありがとう。
合掌
お坊さんからの回答 3件
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よく頑張ってきましたね
本当にお疲れ様でしたね。
介護というものは、想像を超えて大変なものですからね。
自分の身を世話するだけでも、しんどいのに他のものの世話というのは、苦しくしんどいものです。
よく頑張られたのでしょう。
今、寂しさと共に少しの開放感があるのは、それで当たり前なことなのです。
それだけあなたが頑張って愛情を注いできた証拠ということです。
実際に、親の介護でも自宅でやれないので、施設に入れる時代です。そうしないと自分の生活が保てないからです。もし、自宅で親の介護をしていたら、亡くなった時に悲しさと共に解放された気持ちをもたれるののです。
私も、親を亡くした時に自宅で介護をしていましたので、よくわかるのです。
ですから、愛犬といえども自宅で介護をされたのですから、その気持ちになって当たり前でしょう。それだけ一所懸命にお世話をしてきたんですから。
ここまで頑張ってきた自分を褒めてあげてください。
そして、しばらくして心に元気が湧いてきましたら、ご自分のことに時間とエネルギーを与えてあげてください。合掌
お疲れ様でした。
今のそのお気持ちは
生前に精一杯介護されたゆえに
湧き起っているのでしょう。
今は
ご自身とご家族のことだけを考えて
これまでとは違う時間をお過ごしください。
また御縁があれば
4代目に巡り合うでしょうね。
質問者からのお礼
優しいお言葉感謝です。救われます。今は悲しみと淋しさと、開放感が入り混じり複雑ですが、これからの人生を前向きに歩きます。
いつもありがとうございます。
感謝してます。