変わっていく場所、物事に心が痛みます回答受付中
お世話になっています。私が自己の感情の中で最も恐ろしいのは怒りでも憎しみでもなく、ノスタルジー的な感情が最も恐ろしいです。この感情に一度捕らわれるとなかなか離れてくれなく、もう戻ってこない思い出の時などを考えると胸が張り裂けそうになります。良き思い出が物悲しいのは二度とその時に帰る事が出来ないからです。55年前生きていると思い出の場所やお店も変わったり無くなってしまったりして仕方ないとしても非常に心が痛み悲しくなります。確かお釈迦様は物事は絶えず変わり留まる事が無いと言っていたような気がします。それはよくわかるのですが、やはり思い出の場所やお店や自分の思い出等を考える時に、心が張り裂けそうになります。私は考えすぎなのでしょうか?回答おねがいいたします。
お坊さんからの回答 1件
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精一杯、懐かしんでください
ご相談いただきありがとうございます。
チャトラさんが感じておられるその苦しさは、
「あの頃確かに存在していた世界が、もう戻らない」
という切なさなのだと思います。
なくなった店。
変わった街並み。
もう会えない人。
歳を積み重ねるほど、
そういうものは増えていきますよね。
ですが私は、チャトラさんのその感覚は、
「考えすぎ」なのではなく、
「人生をちゃんと愛してきた人の痛み」
のように感じます。
生活環境がかわったとしても、心の中にいつも思い出せる良き思い出があり、それを大切にしてきたからこそ、その想い出や出来事が、どんどん過去になっていく、そしてその場所も無くなり、その想い出自体が消えてしまいそうな感覚…
とても怖いと思います。
チャトラさんが感じているものは、粗雑に扱ってはいけない、とても大切な感情だと思います。
もし、
何一つ変わらず、
失われず、
朽ちない世界なら、
人は、
今この瞬間を、起きた出来事を
ここまで大切には出来なかったのかもしれません。
花も、
季節も、
人との時間も、
「いつか終わる」
からこそ、
愛おしく感じる。大切に感じる。
仏教では、
この世は「無常」であると説きます。
ですがそれは、
「だから虚しい」という意味ではなく、
「だからこそ、今が尊い」ということでもあるのだと思います。
そして、
思い出の場所だけでなく、
やがては、
記憶そのものも少しずつ朽ちていきます。
だからこそ、
今まだ思い出せるうちに、
胸が締めつけられるほど懐かしめるうちに、
どうか、
精一杯懐かしんでください。
「あの時間が確かにあった」と、
心の中で何度でも抱きしめてあげてください。
それは執着というより、
「人生を愛した人だけが持てる、温かな痛み」なんだと思います。
そして最後は、「ああ、あの時間があってよかった」と、
静かに微笑める日がこられることを、願っております。


