生きる力とは何か回答受付中
前回の相談に真摯に答えてくださった方、ご覧になってくださった方に感謝いたします。
何とか辛抱強く様々な活動を続けて、進路についても学業についても一旦の目処が立ちました。
ただ、根本的な問題は何も解決していないと思います。
私の問題は、何か辛いことがあったり苦しいことがあったりすると「もう死んじゃってもいいかな」とすぐに脳がシャットダウンしたかのように働かなくなってしまうことだと思っています。
自分の100%を出しきれず、それに対して自分はダメな人間だと思って自己嫌悪に陥り、それでも自分よりダメな奴なんかいっぱいいるんだと必要もないのに他人を蔑み、100%を出しきれなかった自分を正当化して怠けてしまう。
ちょっと成功すればそれに有頂天になってさらに上へと進む意欲をなくし、そしてその結果を得られなかった人に優越感を抱いてしまう。
このサイクルをずっと続けていくうちに他人を無意識に下に見ている自分に気づき、そんな自分に対して嫌悪感が出てしまいました。
何とか自己嫌悪を少しでも減らすため、他人軸ではなく自分軸として自分の能力を伸ばすために学業に取り組んだり、日常生活の堕落さを見直したり、内定先企業の入社後のための資格勉強を行なったりなどしていますが、怠惰な思考の癖が抜けずに長続きしなくなってしまいます。そしていつも期限や締切のギリギリに対応し、上のサイクルに戻るという悪循環です。
早い話、私には生きる覚悟が足りません。
死にたい気持ちと生き抜きたいという欲求が激しく切り替わり表裏一体となっていて非常に辛いです。
死なせて欲しい、ということに対するヒントは教えてもらいました。今度は逆に、生きる覚悟を持つためにはどうすればいいのでしょうか。
感情の起伏が激しく情けない自分に憤りすら感じ、烏滸がましいと思いながらも、ヒントをいただけると幸いです。
お坊さんからの回答 1件
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お釈迦様は他人のために生きた
お釈迦様は、35歳で悟りを開かれた直後、もはややり残したこともないし、悟りの内容を他人に説明してもなかなか理解してもらえないだろうから、このまま死を待とうかと思われました。
そこに梵天という神様が現れて、人々のために教えを説いてくださいとお釈迦様に請われました。
そこからお釈迦様は80歳で入滅されるまで、体力の限界まで教えを説く旅を続けられました。
また、弟子が最初に悟ったときにはとても喜ばれたと記録されています。
つまり、「他人に頼まれた用事がある」ということが、お釈迦様を40年以上生かしたのです。
また、自分のためにやるべきことはない場合にも、他人の成功を喜ぶことができれば人生の彩りとなります。
ただし、お釈迦様は悟っていますから怠けの煩悩がなく、また、慈悲の心があるので、頼まれたら「OK」と気楽に応じるような身軽さがあるのです。
ということで、他人を慈しみ、他人の悩み苦しみを取り除きたいと願い、他人の成功や幸せを喜ぶ、そして、具体的に他人のためにやる用事があれば、軽快に生きられます。
ただし、怠け(心身のエネルギー低下、だるさ重さ)は軽快さの邪魔になりますので、心身の健康を保つ方が生きる力になります。
適切な睡眠をとり(肉体の健康)、過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念の繰り返しをストップすること(心の健康)で、生きる力は増して、死ぬまで生きることができるでしょう。
行ったところが着いたところ。
あまり気負わず、行けるところまで行ってみましょう。
睡眠や瞑想は、脳に貯まった余計なデータを整理できます。
妄想雑念を止めれば、脳に余計なデータが貯まるのを減らせます。
脳の容量を空けるためにも、リフレッシュを心がけましょう。


