命日とは
以前より所望していた入棺体験で自らを振り返る機会を体験してきました。
事前に命日を設定するのですが、これは通常故人の亡くなった日という解釈でいます。私は自身の誕生日にしました。
これを拡大解釈して、命を授かった日と考えることに違和感はないでしょうか?体験から日が経ち、棺で眠っている自分の写真を見ながら、生まれ変わった自分をじわじわと感じつつあります。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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遺族が愛おしい人の命日を忘れることはない。大事な意味をもつ日
あなたが、体験から何を感じ得るのか。楽しみですよね。
命日を設定してみるというのが、面白いですね。
「命日」に何を連想するのか。
特別な日。忘れられない日。縁ある人に思い出してほしい日。繋がっていく日でもあるでしょうね。あの日から、変わったのだと。
ご遺族が、愛おしい人の命日を忘れることはありません。それだけ、大事な意味をもつのです。
ちなみに、浄土真宗の御本尊は、阿弥陀如来。阿弥陀さまの願い(はたらき)は、極楽浄土へのお救い。浄土へ生まれて往くことを、「往生」といいます。ですから、死ぬことが往生ではなく、信仰のもと阿弥陀仏のお救いに遇ったことを指します。浄土真宗の門徒にとっては、亡くなられた日(命日)は、同時に往生なさった日、つまり浄土へ生まれた誕生日でもありましょう。
生まれ変わった日。生まれ変わった自分を考えながら…
あなたのいのちの行方を想いませんか。この命、何に頼るのか。信仰や生き方に影響してくる大事な体験となるでしょうね。
「有り」だと思います
一度死んで生まれ変わるという考え方は古来よりあります。
「一度死んだものが、姿をかえてふたたび生まれること」を再誕と言います。仏教用語的には、輪廻転生ということです。現世でのエンデイングは、来世での誕生を意味するということです。「けい☆Chan」さんのお考えは正しいと思います。
実際に心肺停止状態にならなくても、擬死再生と言って宗教儀礼や宗教的修行によって「いったん死んで、生き返る」という体験をすることもあります。わかりやすい例としては、修験道の「火渡り」や「峰入り」があげられます。本堂の内陣の地下部分の暗がりを歩いたり大仏の中を歩いたりすることを「胎内くぐり」と言いますが、これらも「擬死再生」であると言えます。一旦死んでから、新たな生命を得ることでより強い生命力を獲得できると考えれています。



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