ふと思うこと回答受付中
前回の相談では、僧侶の方たちにご心配をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。
この1カ月余り、打ち合わせや色々な準備で怒涛の日々でした。本番はまだ先です。
一番の山場となる講演が上手く進んでいるので、幸い前回の相談のような悪い精神状態ではなく、元気です。
今日は朝から夕方までバタバタでしたが、いまちょっと落ち着いて自分を客観的に見たときに、何をこんなに頑張ってるんだろうと思います。
だからやめたいわけじゃないんですが、もう十分頑張ってきた自負はありますし、これから先、自分の命を削るような生き方をするモチベーションがないです。
こんなこと仕事や日常生活上で関わっている人にはいえませんが、私の人生って何だったんだろうとときどき思います。
大きな社会貢献をしたわけでも、命を繋いだわけでもないですし。
結局、自己満足に過ぎない大河の一滴として、老いていくんだろうなと思います。
両親を見送るまでは、何とかがむしゃらに生きるつもりです。でもそのあと独りで生きていく孤独に耐えてまで、この世にしがみつく理由がないなと思っています。
一言でいうと、もう満足です。ただ両親がいなくなっても、自ら命を終わらせる勇気は持てないと思うので、どうしたものかなと考えてしまいます。
お坊さんからの回答 2件
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救い
いくつか質問を読ませて頂きました。
どうして死んでしまうのに、地球もいつか滅びるのに、孤独に耐えてまで、どこに意味(価値)を見出して生きなければならないのか?
その根本課題があなたのあなたのなかにずっと渦巻いて根を張ってあるのですね。だから時々それが顔を出してくる。
いや、いつのあるのに見ないふりをできるときはいいけど、余裕がなくなるとそれに覆われる。でもそれが実は本来の姿なのでしょう。調子がいいと思っているときは実はごまかしている。ごまかせている。そういうことなのかもしれません。
それは簡単に解決出来る課題ではないのでしょう。こうしてここにご縁をいただいているということは仏教に興味もお持ちではないのでしょうか。生業に励みつつも、信仰に生きていく歩みを進めてみてはいかがでしょう。
私が求めるのは私の意味(価値)。でもそれを求めても埋まらない。埋まったとしても器である私すら有限。
仏教の救いというのは、私が私から、そして意味や価値から解放されることではないかと思います。
厳しい修行によって私がそうなっていくという道もあるかもしれませんが、信心において、私を解放する・・・そういう絶対不二のはたらきに私が飲みこまれる時、私は私という有限で不純なままでありながら、無限のはたらきに包まれる。そんななんとも言葉では表現しがたい救いをあなたは本当は求めているのではないでしょうか。
あなたに与えられた生き方を
拝読させて頂きました。
あなたの状況やお気持ちを読ませて頂きました。あなたはとてもがんばっておられるように感じます。
あなたは、大河の一滴のように長く流れて生きていくのでいいのではないかと私は思います。
一人一人にできることは限られています。その中でもあなたは今まであなたのできることや求める道を歩んでいらしたと思います。
ですからこれからはムリない範囲にてあなたが望むような生き方をなさっていって下さいね。
きっとあなたに与えられた人生や生き方があるでしょうからね。
あなたがこれからもご家族の皆さんとのご縁を大切になさり、心おおらかに豊かな毎日を生きることできますように心よりお祈りさせて頂きます。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌



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