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最期は地球すらもなくなるなら回答受付中

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人間はおろか、地球すらも最期には太陽に飲み込まれて消滅すると知りました。一生懸命人間が生きて、やっと築いてきた生き物も自然も文明も文学も歴史も、あらゆるものが最期には消滅するなら、この世は何なんでしょうか?

私はいま死にたいとか、生きることに投げやりになっているわけではありません。むしろ、とても人生が充実しています。今までも自分にできる限り、精一杯生きてきました。

だからなおさら思うのです。この世は本当に儚いものだなと。すべてには終わりがあり、永遠などあり得ないのだなと。

それでも目一杯後悔しないように、生きようと思います。でも時々、どうしようもなくむなしくなります。

2026年4月8日 13:15
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無常の中にこそ輝く今のいのち

ご相談、誠にありがとうございます。充実した日々を送っておられるからこそ、なお深く「この世のはかなさ」に心が触れておられるのですね。その感覚は、とても自然で、むしろ真実に近づいた心の働きとも言えるでしょう。

仏教では、この世界のあらゆるものは「無常」であると説きます。形あるものは必ず変わり、やがて滅していく。人も、自然も、文明も例外ではありません。おっしゃるように、やがて地球すらも終わりを迎える存在です。

では、この世は何なのか。それは「消えていくものの集まり」であると同時に、「今この瞬間にしか現れない尊いはたらき」でもあります。

たとえば桜は、やがて散るからこそ美しいと感じられます。もし永遠に咲き続けるなら、その美しさに心が震えることは少なくなるでしょう。限りがあるからこそ、一瞬一瞬がかけがえのないものとして立ち現れてくるのです。

むなしさを感じるのは、「永遠であってほしい」という願いと、「すべては移ろう」という現実との間に心が揺れているからです。その揺れ自体が、人としてとても誠実な感受性だと私は思います。

浄土真宗では、この無常の世界にあってなお、「だからこそ今を大切に生きる」という道が示されます。すべてが消えるから無意味なのではなく、消えていくからこそ、今の出会いや営みがかけがえのない意味を持つのです。

そしてもう一つ大切なことは、「意味を完成させよう」としなくてよい、ということです。人生に究極の答えを求めすぎると、かえって空しさが深まることがあります。ただ、与えられた一日一日を丁寧に生きる、その積み重ねがそのまま人生の姿となります。

むなしさが訪れたときは、それを無理に消そうとせず、「ああ、私は今、無常に触れているのだな」と静かに受け止めてみてください。その感覚もまた、深く生きている証です。

あなたが今感じておられるその問いは、決して虚しいものではありません。それは、人生を真剣に生きている方にだけ訪れる、大切な気づきなのです。合掌

2026年4月8日 14:07
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仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せるのかを常に考えます。 資格:日本メンタル協会認定メンタルスペシャリスト。JADP認定心理カウンセラー
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