亡くなった方の言葉を見返すこと
最近、まだ30手前という若さで、がんで亡くなったクリエイターの方を知りました。
亡くなる数日前までSNSを更新されていて、最期が近いことを感じさせる投稿も残されています。
その投稿を読んだとき、とても救いがないように感じると同時に、自分自身の悩みについて考えました。
自分にも、仕事やこれからのキャリア、人間関係、恋愛、親のこと、お金のことなど、日々いろいろな悩みがあります。
ただ、その方の最期を見ていると、自分が抱えている悩みには、実はたくさんの選択肢があることに気づきました。
仕事をどうするか、人とどう付き合うか、これからどう生きるか。悩んではいても、考えたり、選んだり、やり直したりするための「明日」が自分にはあります。
一方、その方には「明日を生きる」という選択肢そのものがありませんでした。
「この人にはもう与えられなかった明日を、自分は今日も持っている。そのことを忘れないようにしたい」
そう思い、その方の最期の投稿をブックマークしました。これから月に一度くらい、あるいは自分が落ち込んだときに見返そうと思っています。
ただ、自分の中にあるのが、そうした気持ちだけではないことも自覚しています。
「この人に比べれば、自分の悩みなんてくだらないのではないか」
「もっと大変な状況にいた人がいるのだから、自分は今ある人生をもっと大切にしなければ」
そうやって、亡くなった方の不幸と自分を比較することで、自分を奮い立たせようとしている部分も確かにあります。
そこで少し引っかかっています。
亡くなった方の言葉や最期を、自分が前を向いて生きるための戒めとして心に残し、繰り返し見返すことは、その方の生きた証を自分なりに受け取ることなのでしょうか。
それとも、他人の不幸や死を、自分を励ますための材料として利用してしまっているのでしょうか。
また、「もっと苦しい人がいるのだから、自分の悩みは大したことではない」と他人との比較によって自分の苦しみを相対化することについて、仏教ではどのように考えるのでしょうか。
亡くなった方への敬意を失わず、その方の死から自分が何かを受け取るとすれば、どのような向き合い方がよいのか、お坊さんの立場からのお考えを伺いたいです。
お坊さんからの回答 5件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いのちは、多くの恵みを受け、様々な縁によって、育てられていく
どのように受け取るのか、意味づけていくのかは、あなたの判断なのです。
あなたの目に留まったのは、若いクリエイターの言葉だったのですね。
それぞれの人に、それぞれの人生があり、そこには大事な生き方があることでしょう。どんな人だったのか、何を感じていたのか。どんな想いだったのか。何を願うのか。
私は、それをどのように聞かせていただくのか。
限りある命、目の前のこと、これからをどう生きるのかを、問うてくださるようですよね。
事故や災害などでは、大きく報道され、被害に遭われた方が報告されます。何人、何十人、何百人… Aさん、Bさん、Cさんと。ですが実際には、一言では語れないほどの、その方の人生があり、そこには関係者もいらっしゃる。世界に目を向けると、今もこの瞬間に、消えゆく命があるかもしれません。どんな命も、尊いのです。軽んじられたり、奪われていい命などありませんよね。
私たちは、経験から想像し得ることや比較をして捉えていく見方をしてしまいますが、こうして目に留まった時に、あらゆる角度から深く物事を考えていくことで生き方が見えてくるのです。
「いのち」とは、多くの恵みを受け、様々な縁によって、育てられていくものです。もしかしたら、それは、仏様からの導くためのお手回しかもしれませんね。そして、受け取ったメッセージは、これからもあなたを支えてくださるでしょう。
仏様のように、慈悲の心も育てていきたいですね。
合掌
ご自身を律し、前を向こうとする尊い気づきです
ご相談ありがとうございます。亡くなられた方の最期に触れ、ご自身の生き方と真摯に向き合っておられるご様子が痛いほど伝わってまいります。他者の死を自分を励ます材料にしているのではないかという罪悪感は、あなたの心の優しさと誠実さの証です。
仏教では本来、他者と自分を比較して幸不幸を測ることや、苦しみの大きさを比べることは戒められます。私たちは皆、それぞれが唯一無二の尊い存在だからです。しかし、あなたが感じた「もっと大変な人がいたのだから、今の人生を大切にしなければ」という思いは、決して他者を貶めるものではなく、ご自身を律し、前を向こうとする尊い気づきです。ですから、その思いに過度な罪悪感を抱く必要はありません。
そのクリエイターの方には、たしかに「明日」という選択肢は残されていなかったかもしれません。ですが、亡くなる直前まで発信を続けられたお姿からは、与えられた「今日」を懸命に生き抜かれた命の輝きを感じます。
あなたがその方の言葉をブックマークし、見返すことは決して「利用」ではありません。それは、その方が精一杯生きた証を、あなた自身の命の糧として真摯に受け取っているということです。
ご自身の悩みを「くだらない」と卑下する必要はありません。悩むことこそが、ご自身の人生を真剣に生きている証拠です。亡くなった方への最大の敬意は、その方の命の重みを胸に刻み、あなたに与えられた「今日」という一日を、あなたらしく大切に生き切ることではないでしょうか。どうか、ご自身の悩みも抱きしめながら、かけがえのない日々を歩んでいってください。
拝
縁起寺 釋聴法
人は死んでも活動体。だから❝まつる❞のです。
お釈迦さまも祖師たちも死なない生き方をされたのである。
全国各宗派をごらんなさい。
どの宗派もたった一人の人間が立ち上げた。
しかも、結構若くして、です。
あるいは音楽ならジミ・ヘンドリックスを調べてみてください。
二十代で死んで今でも生きている。活動期間数年。
いまだに誰も超えられないアツいソウルを体現・表現した。しかも、死んだ後も、その熱いソウルは今の時代に生きている人たちに影響力を与えている。
映画「マイケル」だってそうでしょうに。マイケル・ジャクソンぐらいになると死なんのです。
世界中で既に死んでしまった偉人たちは、だれもが知らん人にとってはどうでもいい存在です。ですが、知っている人、まつる人にとっては永遠に生きる存在です。
あなたのリスペクトするその方も、大事に敬って、祀って差し上げたらいいでしょう。
別に位牌を作りなさいというわけではないです。
ですが、偉い人、立派な人、大事な人は位牌になる。
ものすごく立派な人は全国各地に位牌や頂相、像ができるのです。
人の世界というものがそういうものだと知ればよいでしょう。
そして、あなたもそういう生き方を志すようになればよいのです。
心の中の負の意識や愚痴、グダグダな心理に打ちのめされずに、より良い方向、この上なく確かな道を探し、目指して生きる。
私の法友の一人、前田君は三十台で亡くなりました。
ドコモのクレーム処理係でお勤めになって、老師の元で一緒に参禅していました。
要求力がアツく、老師のお話もスイスイ会得され、出家をされました。
生きていれば立派な坊さんになっていたでしょうが、死んでしもた。
それでも、彼は友人にお通夜の席に説法をさせた。
「事実は人をきずつけない」と。
さぁ、どういうことを言っているのか?
あなたはこういわれます。
「他人の不幸や死を、自分を励ますための材料として利用してしまっている?」
「もっと苦しい人がいるのだから、自分の悩みは大したことではない」
そんなことを言わんで良いのです。
事実に対して、失礼でしょう。
事実はモノ申さぬ。
事実は人があれこれ思うような姿をしていない。
死は死であって立派な尊厳であり、グレイトフルな死なのです。
釈尊の死だって、涅槃であり、死の恐怖に打ち克った偉大な死であるのです。
この世の全ての死者は誰もが私たちを導いて、見守ってくださる存在です。
煩悩と四無量心と念仏
仏教で目指すのは、悩み苦しみの原因である煩悩を弱めて悩み苦しみをなくすこと、つまり悟りに近づくことです。
また、浄土宗などでは、悟りやすい環境である極楽浄土に往生(転生)するためのチケットである念仏(南無阿弥陀仏と唱えること)をやることが人生の最優先課題です。
ですから、故人の書き込みを読むとこと等も、上記の方向性につながるかどうかが大切です。
まず、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩(悩み苦しみの原因)を起動させたり長引かせたりするのは善くないので、そうならないようにすること。
次に、慈・悲・喜・捨の四無量心(しむりょうしん)を育むこと。
そして、南無阿弥陀仏、
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を口ずさみ、
「阿弥陀仏は、こんな煩悩だらけの私でも極楽浄土に迎えてくださる、阿弥陀仏の光明は私を照らしてくれる」
と意識すること。
日常生活は、それらを基準にすれば良いのです。
あとは、過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念で苦しみが増幅される場合は、その妄想雑念を適宜一時停止(中断)することも良いです。
故人の記事を読むことでそれらにつながれば幸いです。
故人の往生極楽(冥福)を願うことも、念仏につながります。
なむあみだぶなむあみだぶ
あなたの人生を生きて下さいね
拝読させて頂きました。
その方が不幸だったのか、その方の人生がどうだったのかジャッジする必要はないと思います。その方自身がお感じになることですからね。
その方がその人生生き抜いたことに敬意をもって見ていくことがとても大切だと思います。
おそらくその方のお言葉一つ一つはとても価値のある言葉でしょうし、かけがえのない生きた証としてあなたを学ばせてくれるでしょう。
そしてあなたはあなたの与えられた命や時間をしっかりと生き抜いて下さいね。
あなたがこれからの未来を豊かに充実して生き抜いていかれますように切に祈っています。至心合掌



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )