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諦めるには具体的にどうしたらいいですか回答受付中

ちよこ女性/40代
回答数回答 2
有り難し有り難し 2

世の中はなぜ優しい人が壊され、壊した人はのうのうと笑って生きていくのですか?
一つのカテゴリで方々からいじめを受けるなら私に非があるのでしょうか?
因果応報を紐解くと要は「いつまでも恨んでいるあなたが悪い」とこちらが責められているように聞こえます。
みんな私のことは傷付けてもいいと思っている。何かあれば些細なことでも私を嘲笑し罵倒し暴言を吐く。それでも私が悪いと言われる。人をバカにする方は悪くないのでしょうか?誰も助けてくれない。全て自己責任と言われる。優しい人なんてこの世に存在しない。
他人のことを全て諦められたら肩の力が抜けて楽になれるんだろうな、と思います。けどそんな簡単に割り切れたらとっくに楽になっている。
私の人生にはもう幸せなんてないのか。
早く終わりにしたいです。

2026年9月15日 19:06
ちよこ女性/40代
質問数:
1

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不浄・苦・無常・無我を知る

他人(人間)を人間と見ずに、あなたの六根(眼耳鼻舌身意)に入力される六境(色声香味触法)であると断片的に見ることができれば、少しは諦められるかも知れません。
昨日の風と今日の風を同じ風だと見るのではなく、別々の空気だと見る。
また、身体は不浄であると見る。この身体は思っているほど綺麗なものではないと見る。
受(眼耳鼻舌身意に入力されてくる色声香味触法の刺激や情報)の本質は苦痛であると見る。快楽ですら、実は微弱な苦痛を快楽だと錯覚しているだけだったのだと見る。
心は無常であると見る。思考や感情は瞬間ごとに浮かんで消えて変化しており、だから瞬間ごとに新しい心、新しい自分に新陳代謝していると見る。
法(頭で考えたこと)は無我(実体のない幻みたいなもの)だと見る。考えたことは、ただ、今の私がそう思っただけに過ぎないと見る。
このように、不浄・苦・無常・無我についてとりあえず知ってください。
そして、日常生活の端々で、それを観察してみましょう。
私達が憎んでいる他人、その他人に関する概念の情報に意識が触れたことも、苦痛にすぎない。
大きな苦痛や小さな苦痛がただそこにあるだけ。
ならばこそ、過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念で法(考えたこと)を膨らませること、意識が受ける苦痛を自ら増幅することに意味はないのだと、とりあえず知っておいてください。
納得(悟り)はしなくても、知っておくだけで良いです。
それらは仏様が悟って発見してくれた真理なので、真理はきっといつか、あなたを導き救ってくれます。
この世には、あらゆるところに真理に気付くヒントが隠れています。
苦痛や憎しみさえ、真理に気付かせるためのヒントやクイズ、宇宙仏「大日如来」からのメッセージだとでも思ってみてください。(つまりは、奈良の大仏様からの配信情報です。)
あなたの心に平安が訪れますよう、心よりお祈り申し上げます。
例えそれが、数秒間の平安であっても。

2026年9月16日 2:37
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

早く、は難しいと思います。

こんばんは。

何度か読み返しました。

詳しいことは、私には分かりません。
誰に、どんなことをされてきたのか。「全て自己責任」と誰から言われたのか。それも分かりません。

ただ、ずいぶん辛い思いをしてきたんだな、ということは伝わってきました。
「優しい人なんてこの世に存在しない」とまで思うのですから。

だから、いま私から「世の中には優しい人もいますよ」と言っても、あまり意味はないのでしょう。「因果応報とはそういう意味ではありません」と説明することもできますが、それも今あなたが聞きたいこととは、少し違うように思います。

タイトルには「諦めるには具体的にどうしたらいいですか」とあります。
けれど質問を読むと、私はまだ、あなたが「何を諦めたい」のか、よく分かりませんでした。

人から優しくしてもらうことなのか。
自分を傷つけた人に、いつか分かってもらうことなのか。
「自分は悪くなかった」と誰かに認めてもらうことなのか。
それとも、この先には幸せがある、と期待することなのか。

あるいは、どれでもないのかも知れません。

ですから、今は無理に「諦め方」を探さなくてもよいのではないでしょうか。

このhasunohaには、いろいろな人の問いと、それに対するお坊さんたちの回答が残っています。少し、他の方の問いも読んでみてください。

「これは私と似ている」
「いや、私はこんなことではない」
「この言葉は、ちょっと分かる」

そんなものが見つかったら、そこからもう一度、ご自身のことを言葉にしてみてください。

今の私からは、何か答えを急いでお渡しするよりも、その続きをもう少し聞いてみたいと思いました。

2026年9月16日 2:22
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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