母の供養についての相談回答受付中
母の供養についてご相談があります。
子どもの頃に母を亡くし、当時の家庭の事情や自分の未熟さもあり、供養について何もできないまま長い年月が過ぎてしまいました。
母の戒名は覚えており、忘れていたわけではありませんが、気づいた時には遺骨は無縁仏として扱われていたようで、そのことに強い罪悪感と後悔を抱えてきました。
もっと早く動けたはずだという思い、間に合わなかったと感じ続けてきた痛みが胸に残っています。
それでも今になって向き合う決心がつきました。
遅すぎる供養でも成立するのか、まずそこを確認したいと思っています。
遺骨がない状態でも読経や供養をお願いできるのか、戒名で供養すべきか俗名でも可能なのか、現実的な方法を教えていただければありがたいです。
長い年月を経てしまった相談ではありますが、今できる形で母との縁を結び直したいと考えています。
後悔も欲も迷いも、静かに積み重なっている。完璧じゃない自分を受け入れきれないまま、それでも今日を生きている。それが今の煩悩。
お坊さんからの回答 1件
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暗く考えずに
前置き情報として、古来の日本人には死者の祟りを恐れる文化がありました。ですから、現代の私達も、死者を鎮める(祟らずに眠ってくれと慰める)感覚を引きずっています。
しかし仏教は、もっと明るいものなのです。
「供養」は「おもてなし」、喜んでもらうもの。
お供えやお布施はプレゼント。
私達が良い行い(プレゼントやボランティア)をして、その姿をお母様にご覧いただくこともおもてなし。お経(仏様の教え)を読み聞かせることもおもてなし。明るく楽しいイベントとして行ってください。
楽しいイベントである仏事は、やったらプラスだけど、やらなくてマイナス(先祖の祟りとか)はないと思ってください。
それで、戒名は、お母様が正式な仏教徒になったこと、成仏(悟って仏様に成る)を目指す菩薩様(仏の見習い)の一員になったことを象徴するお名前、仏弟子ネームです。
なので、戒名がわかっているなら、お坊さんに卒塔婆へ戒名を書いてもらって拝むのが習わしです。(位牌や墓石でも可)
お母様を、荒ぶる神として恐れるのではなく、未来の仏様(私達を救ってくださる智慧と慈悲の存在)として明るくおもてなしして拝むのです。
ちなみに、2500年前のインドに実在したお釈迦様は、すごい人気で、お釈迦様が訪れる町では、「お釈迦様、今日は私の家でお食事してください」「いやいや、私の家にお越しください」と、お釈迦様ご一行を供養(おもてなし)したい人々が競い合ったそうです。
お釈迦様は基本、先着順なんですが。
そのように、仏様を供養することは明るく喜ばしいイベントだと思ってください。
遺骨はなくて問題ないですし、戒名がわからなくても問題はありません。
目の前に仏様がいらしてくれているとイメージして拝み、おもてなしをしてあげてください。


