母の供養についての相談
母の供養についてご相談があります。
子どもの頃に母を亡くし、当時の家庭の事情や自分の未熟さもあり、供養について何もできないまま長い年月が過ぎてしまいました。
母の戒名は覚えており、忘れていたわけではありませんが、気づいた時には遺骨は無縁仏として扱われていたようで、そのことに強い罪悪感と後悔を抱えてきました。
もっと早く動けたはずだという思い、間に合わなかったと感じ続けてきた痛みが胸に残っています。
それでも今になって向き合う決心がつきました。
遅すぎる供養でも成立するのか、まずそこを確認したいと思っています。
遺骨がない状態でも読経や供養をお願いできるのか、戒名で供養すべきか俗名でも可能なのか、現実的な方法を教えていただければありがたいです。
長い年月を経てしまった相談ではありますが、今できる形で母との縁を結び直したいと考えています。
後悔も欲も迷いも、静かに積み重なっている。完璧じゃない自分を受け入れきれないまま、それでも今日を生きている。それが今の煩悩。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
整っていなかっただけ。既に結ばれていた縁。仏様のお計らい。
結ぶ仏縁に、遅いことなどないのですよ。あの頃だって、あなたは蔑ろにしてきたわけでもなく、環境が整っていなかっただけ。ですが、今このように想われて、手を合わせる機会を持とうとなさっている。それは、仏様のお計らいではないでしょうか。こちらが考えているようでも、あなたはずっと、仏様から願われて、お母さまから想われていたのだろうと考えていくと、この行動に大きな意味があるのですよ。
そして供養は、仏様のお救いを聞いていくことなのです。なぜなら、それが あなたを導き、亡き人が安心くださる供養となるからです。そこに手遅れなどなく、よくぞ気づいてくださったと、喜んでくださることでしょう。
お寺に参りませんか。どなたでもお参りができますし、法座があれば僧侶の説法にも触れられるでしょう。仏さまの御心(お救い)を聞くお聴聞も、また味わい深いですよ。
合掌
思い立ったが吉日
幼くしてお母さまを亡くされ、さぞお辛い思いをされたことと思います。
まず申し上げたいのは、
供養に、遅すぎるということはありません。
思い立ったが吉日です。
今になって「母の供養をしたい」と思われた。
そのお気持ち自体が、すでに尊いご供養だと私は思います。
遺骨が無縁仏として扱われたことを、どうかご自身の罪として背負わないでください。
子どもであったあなたに、できることには限界があります。
むしろ逆に申し上げれば、亡くなられたお母さまの方こそ、
「幼い子を残してしまった」
「何もしてあげられなかった」
と、あなたのことを案じておられたのではないでしょうか。
そして今、
「ああ、こんなに立派になって、私の供養まで考えてくれている」
と、手を合わせて喜んでいらっしゃる。
私は、そのように感じます。
お母さまは極楽浄土から、片時もあなたのことを忘れず、見守っておられることでしょう。
供養は、遺骨がなければできないものではありません。
お寺で読経をお願いしてもよいですし、ご自宅でお花やお茶を供え、手を合わせるだけでもよいのです。
戒名が分かっているのであれば、その戒名でご供養されれば結構です。
もちろん、俗名でも差し支えありません。
大切なのは名前の形ではなく、
あなたがお母さまを思い、手を合わせる心です。
何十年経っていても構いません。
「遅れてしまった」
ではなく、
「今、やっと向き合うことができた」
そう考えてください。
思い立った時に、
思い立った方法で、
できることをする。
それで十分です。
このお話を伺い、
「よくここまで生きてきたね」
「私のことを覚えていてくれてありがとう」
と、涙ながらに手を合わせていらっしゃるお母さまのお姿を思わずにはいられませんでした。
どうか罪悪感ではなく、感謝のお気持ちでお母さまに手を合わせてください。
有難いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
暗く考えずに
前置き情報として、古来の日本人には死者の祟りを恐れる文化がありました。ですから、現代の私達も、死者を鎮める(祟らずに眠ってくれと慰める)感覚を引きずっています。
しかし仏教は、もっと明るいものなのです。
「供養」は「おもてなし」、喜んでもらうもの。
お供えやお布施はプレゼント。
私達が良い行い(プレゼントやボランティア)をして、その姿をお母様にご覧いただくこともおもてなし。お経(仏様の教え)を読み聞かせることもおもてなし。明るく楽しいイベントとして行ってください。
楽しいイベントである仏事は、やったらプラスだけど、やらなくてマイナス(先祖の祟りとか)はないと思ってください。
それで、戒名は、お母様が正式な仏教徒になったこと、成仏(悟って仏様に成る)を目指す菩薩様(仏の見習い)の一員になったことを象徴するお名前、仏弟子ネームです。
なので、戒名がわかっているなら、お坊さんに卒塔婆へ戒名を書いてもらって拝むのが習わしです。(位牌や墓石でも可)
お母様を、荒ぶる神として恐れるのではなく、未来の仏様(私達を救ってくださる智慧と慈悲の存在)として明るくおもてなしして拝むのです。
ちなみに、2500年前のインドに実在したお釈迦様は、すごい人気で、お釈迦様が訪れる町では、「お釈迦様、今日は私の家でお食事してください」「いやいや、私の家にお越しください」と、お釈迦様ご一行を供養(おもてなし)したい人々が競い合ったそうです。
お釈迦様は基本、先着順なんですが。
そのように、仏様を供養することは明るく喜ばしいイベントだと思ってください。
遺骨はなくて問題ないですし、戒名がわからなくても問題はありません。
目の前に仏様がいらしてくれているとイメージして拝み、おもてなしをしてあげてください。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )