慰霊の仏教的な意味がよく分かりません。
はじめまして、hasunohaさん。今回は仏教の哲学・神学的な議論なので、お釈迦さまの教えについて、あるいは心霊系やスピ・占いの世界を頭から否定しないお坊さんにこの件を聞きたいと思います。
先日、とある事件の犯人について調べていたら、事件の共犯である主犯格のガールフレンドが事件後に刑期を終えて、今はコスプレイヤーをしているという情報をつかみました。
私はこの件について、三ヶ月前にとあるXの有名いじめ暴露系垢(デスドル)にタレコミを送りました。採用するとは言われたもののまだ取り上げられてない状態です。殺害された被害者のことを考えれば、犯人たちに正規ではなくとも相応しいペナルティを与える義務を感じてしまいます。しかし、いくら有名な殺人事件とはいえ悪法もまた法である以上、群衆の狂気に油を注ぐようなことは少し気が引けます。かといって日弁連の人権屋弁護士のように加害者の人権を守れ!と思っているわけでもありません。
しかし、それで、あの世の被害者は納得するのかどうか、私自身の苦しみではなくて、何千、何百倍も苦しんだ被害者の方の霊、そして遺族の方が犯人に対する報復以外の方法で報われるのかを知りたいと思います。
いつも思うことですが、原爆や空襲の日に花火大会や平和の詩を朗読することがはたして成仏できない多くの非業の死を遂げた霊に顔向けできるのか、と考えています。「被害者は復讐を望まない」と現世の人は軽々しく言いますが、それならば菅原道真公や平将門はなぜ祟りを起こすのか説明がつきません。可哀想だったね、と供物を捧げることで現実にのうのうと悠々自適に暮らしている加害者がいることの残酷な現実への埋め合わせになるのでしょうか?そこが仏教の教えではわからない所です。
また仏教では因果応報を説きますが、凄まじい事件で死んだ人間は報われることなく憎しみが悪念としていつまでも餓鬼界で成仏できずに苦しむと言います。そこも納得できないところです。
仏教に詳しい方、そしてスピ系に詳しい方、ご回答をよろしくお願いします。
お坊さんからの回答 3件
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「報われる」とは、危害と苦しみの無限サイクルを止めること
「ダンマパダ」の有名な一節に「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」とあります。
因果は、原因と結果の繋がり、推移(流れ)であり、個人の中に溜まるポイントのようなものではありません。Aさんは悪ポイントを100ポイント持っているからBさんが90ポイント分だけ報復してもその100ポイントと相殺されてBさんにはマイナスにならない、ということはありません。
(1)「AさんがBさんに危害を加えた」→(2)「BさんがAさんに復讐した」、というサイクルの(2)は「BさんがAさんに危害を加えた」ことに他なりませんから、BさんはいずれAさん(あるいはAさんの代理人)から報復される因を作ったことになります。
菅原道真や平将門が怨霊となって現世の人々を祟ったとしても、この危害が行ったり来たりする無限サイクルの、ある一段階がそう見えるだけです。菅原道真や平将門も結局は討伐されるのではなく、神社や塚を築いて祀られることで鎮まっています。
「凄まじい事件で死んだ人間は報われることなく憎しみが悪念としていつまでも餓鬼界で成仏できずに苦しむ」というお話しは仏教の経典や注釈書の中には出てこないと思います。AIにきいてみても見つかりませんでした。
このお話しで「成仏できない」という果の因は「凄まじい事件」そのものではなく「憎しみが悪念」となったことによるものではないでしょうか。
人の心情は個々に違いますから、同じ事件事故で亡くなったとしても、その瞬間に皆が同様の憎しみや悪念を抱くとは限りません。
お釈迦様の弟子であった目犍連尊者は行脚の途中、お釈迦様に妬みをもつ外道の道士に暴行を受け重傷を負いました。仏教を守護していた阿闍世王は、激しい苦痛で瀕死の目犍連尊者を見て激怒し、道士を見つけ出し直ちに処刑するよう臣下に命じます。それを聞いた目犍連尊者は「誰がどうあろうと命の尊さに違いはありません。もし見つかったとしても、せめて国外追放に止めてください」と懇願して亡くなったといわれています。
このように、仏教的な意味で「報われる」というのは、一時的に相手をやっつけてスッといい気分になることではなく、怨みを捨てることで、危害と苦しみの無限サイクルを止めることであるのです。
必ず報いを受けます
拝読させて頂きました。
あなたのお考えを読ませて頂きました。
殺人や大変な悪行をしたものがそのままのうのうと生きていることに対してあなたは納得できないのですね。詳細なあなたのお考えやお気持ちはわからないですけれど、あなたがそう思うことは私もわかるように感じます。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
この世の中での法律では確かにそうかもしれません。人間が人間を裁くことには自ずと限界がありますし、完全ではありません。ですからそのような罪悪に対してしっかりと報いを受けさせることは人間にはムリだと思います。
私達の考えや行いは全て仏様や神様やご先祖様がしっかりとご覧になっています。誰にも見つからないようにと完全犯罪を犯していても必ず仏様や神様やご先祖様がしっかりとご覧になっています。そして何より自分が見ているのです。ですから決してその罪から逃れられません、必ず誰かしらが見ているのですし、必ずその報いがその後から来るのです。
どんなにこの世で罪から逃げおおせても必ずその報いがきます。
天網恢恢疎にして漏らさず、という言葉があります。したことは必ず漏らすことなく報いがくる、ということを言っています。死ぬまで自分は犯した罪から逃げられたとしても亡くなる時には必ず今までのことが走馬灯のように頭の中によみがえってきて、そのものは自らの罪を思い返して苦しまなければならないのです。そして自らの行いを悔い改めて懺悔して謝罪しなければその後も永遠にさまよい続けて苦しみ続けなければならないです。ですから悔い改めなければ地獄の苦しみを受け続け、決して心安らかになることありません、決して成仏はできません。
怒りも怨みも憎しみも呪いも全て懺悔して捨て去らなければ決して心安らかになりません、地獄の苦しみの中でさまよい続けるのです。
戦災や震災のような非業の死をなさった方々は必ず仏様や神様やご先祖様が速やかにお導きなさって下さり、先に往かれた親しい方々が優しくお迎えなさって下さいます。そして仏様や神様のもとご先祖様と一緒に一切の迷いや苦しみから救われて何の憂いもなくなり、清らかに安らかにご成仏なさいます。そして生きる方々を穏やかにお見守りなさっていて下さいます。
あなたはいかがでしょう。
あなたが心安らかになりますように、仏様や神様に救われますよう切にお祈りさせて頂きます。至心合掌
蚊を殺しても加害者
人間以外の動物も生き物ですから、人間を殺す罪も蚊を殺す罪も仏教的にはどちらも罪です。
なので、蚊を殺した人もコスプレ禁止にすべきでしょう。
輪廻転生を前提に考えるなら、殺された被害者はすでに新しい生き物に生まれ変わっているでしょう。
仏教では、死者の祟りや恨みを鎮めるために供養するのではなく、どこかに生まれ変わって新しい赤ちゃんになっている死者(元死者)の新しい幸せや成仏(悟り)を願って供養するのです。
そこは、日本の伝統的な、祟りや荒ぶる神を恐れる思想と仏教とは少し違うのです。
その事件の犯人は、罪の報いで来世でもなかなか成仏できないかもしれません。
それは、私たちも同じで、蚊やゴキブリを殺したときのあの怒りの煩悩、殺意、そのような煩悩が罪業(悪い癖、悟りにくさ)となって、苦しみの原因になるのです。
反対に、慈悲喜捨の四無量心を意識したり、戒を守りサマタ瞑想やヴィパッサナー瞑想をやるなら、功徳(良い癖、悟りやすさ)が積もって未来の苦しみが少なくなる(悟りが早くなるので)のです。
事件の犯人を憎む怒りの煩悩も、あなた自身の罪業(悟り・成仏が遠のく)になるので、あまり気にしない方が良いでしょう。
単純に、世界は弱肉強食。
法律の網の目をくぐって逃げるのも生存競争においては一つの強さです。
あ、あの人は強かったから逃げ切れてコスプレできてるんだな、とだけ思っておきましょう。狩りに成功したライオンですね。



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人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。
仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。