先週親友を病気で亡くしました
友人は同年代で、心から分かり合える親友でした。一昨年、脳腫瘍ということが分かり、その時点で余命1年との宣告でした。
家族以外は親友の私にしか病気のことは伝えられていませんでした。
友人はその時点で他の誰とも連絡を取ることをやめてしまい、私だけが唯一の心の支えとなっていたのだと思います。
家族からも、誰にも言わないでいてほしいと言われていたので、私自身も1人で悩み、事の重さを受け止めきれずにいました。
いつ友人から電話やメールが来るのか分からず、取り乱していることも多かったためしっかりと考えてから返事をしなければと思っていたので、しばらくは外出を控えた生活をしていたほどです。
その後、私が仕事を再開したり、妊娠したこともありマメに連絡をとったり、会ったりすることができない日々が続いていました。
友人も想像していたよりも元気にしており、このままの日々が続くのでは?と錯覚するほどでした。
それが先月急変し、あっという間にしゃべることもできなくなり、亡くなってしまいました。
あまりの事に今も受け入れられず、思い出しては泣いている日々です。
そして、なによりどうしてもっと会ったり話したりしなかったのかと後悔しています。どんなに苦しく、死の恐怖と1人で戦っていたのだろう。くだらない話しでもいいからたくさんすれば良かった。
できることがたくさんあったのに、どうして自分の生活を優先させてしまったんだろう。
いなくなって、どれだけ自分にとって必要な人だったのかを感じています。
ちょうど同じころに私は出産をしました。意識が無くなるほんの数日前のことで、最後に報告できて本当に良かったと思っています。10日も早く急に出産になったのはきっとこの子が生まれたことを友人に知らせるためだったのではないかと勝手に思っています。
友人の家族にも何もできなかったことを謝罪しました。しかし、本当に心の支えになっていたと思う、ありがとうという言葉を頂きました。
それでも私の心は悲しみと後悔でいっぱいです。この悲しみを乗り越えることができるのか不安です。
こんなに深い悲しみの中にいることを友人は望んでいないと言われるのですが、頭では分かっていても心が全くついてきません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずは自分を許すこと
大切な人を失うのは悲しいことですね。
私もここ5年で、親と子供を一人づつ亡くしております。
愛した人に残された者は誰しも「もっとしてあげられたはず」と
どうしても自分を責めてしまいます。
ところが無常、時は巻き戻ることは無いのです。
ちょっと考えて見てください
あなたは”故人にとって最後まで残った唯一の友達”であった事
これは何事にも変えがたい素敵なこと
どれだけ多くの時間を一緒に過ごしたかとか
どれだけ多くの言葉を交わしたかなんて事よりも
最後の一人に選ばれた時点で
あなたは故人と精神的な部分で
もうすでに寄り添っておられたということです。
悩むことはありません。
そして故人の死はこうやってあなたに愛というものを教えてくれたでしょう?
あなたはこれから自分の子に今のような後悔が無いように丁寧に関わりながら
それ(愛)を込めて育てればよいのです。
ご友人のご冥福をここをよりお祈り申し上げます。
合掌
ゆっくり歩けばいいのですよ。
まつむし様へ
ご友人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
貴女とご友人は本当にお互いが「安心」を与え合える間柄にあったのでしょうね…。
人生において最高の友達だったのでしょうね…。
ご質問の文面からだけでもその事がよくわかります。
貴女自身、ご友人のご病気発覚後からお亡くなりになられる迄の間、ご友人の気持ちに寄り添われ、共に病気に立ち向かい、悩み苦しまれた日々過ごしていらっしゃった事でしょう。
又1日たりとも、ご友人の事を思わなかった日は無かった事でしょう。
それ故に、この度のご友人の死…心中お察し致します。
貴女は「もっと~しておけばよかった…」とご自分を責め、後悔していらっしゃいますが、貴女も貴女で妊娠や仕事等で大変な時期にいらっしゃったのです。
「仕方がなかったんだ」と言ってしまえばそれまでですが
ご友人からすれば、例え病室に来てくれなくとも、話ができなくとも貴女という一人の人間と「繋がっている」事実があるだけで精神的安心、幸せを得る事ができていらっしゃったのではないでしょうか?
何よりも大親友である貴女の出産報告を最期に聞くことが出来たのですから…。
貴女の仰る様に、本当に出産を待ってくれていたのかもしれませんね…。
ご友人はきっと貴女に「命の喜び」「命ある事の有り難さ」を貴女の出産、そして自分の死を通して教えてくれたのではないでしょうか?
これからは、ご友人が遺してくれたこの教えを胸に、精一杯命ある限り貴女の命を日々輝かし、日々感謝し生活を送られる事。
いつの日かご友人の死を乗り越えて強く生きて行く事。
そしてそれが、何れはご友人へのご供養にも繋がっていく事でしょう。
とは言え、貴女はまだまだ「後悔、悲しみ」の気持ちで一杯…今はとにかく悲しむだけ悲しめばいいのですよ…。
亡きご友人のありし日のお姿を思い出したいだけ思い出せばいいのですよ…。
よく時薬なんて言ったりしますが、そうした気持ち、時間の積み重ねが貴女の心を少しずつととのえていってくれるものと思います。
どれだけ時間を要するかはわかりませんが、ゆっくりで構いません、ご友人と向き合う時間を大切にされて下さい。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり、大変申しわけありません。
今現在の私は少しずつですが前を向き、自分の人生を生きているという実感を得られるようになって来ました。お二人の温かいお言葉を、この一年何度読み返したか分かりません。
これから先も忘れることはないのだし、毎日彼女のことを思いながら一緒に生きていきます。
思い出せば悲しくなることもありますが、最近は楽しかった思い出も思い出すことができるようになりました。私自身が彼女のところへ行くその日まで、しっかりと毎日に感謝しながら生き、彼女に会った時には胸を張って頑張ってたよ!と報告できるようにしたいと思います。
ありがとうございました。