心が弱い自分を変えたい
質問失礼致します。現在高校1年のものです。私は最近、心が弱い自分に悩んでいます。
私の通う学校では4月に応援練習という行事があります(4日間お昼と放課後の時間に行われます)。その行事では文字通り応援の練習を行うのですが、教えてくださる先輩たちは怒鳴る睨む等厳しい指導をします。毎年20名近く保健室に運ばれる生徒が居るそうです。今年も20名程居り、私も運ばれました。しかし、他に保健室に運ばれた生徒は自ら歩いたり車椅子に乗って保健室へ来たのですが、私だけ担架で運ばれてしまいました(運ばれた原因は過呼吸です)。また1番優しい練習と言われている、初日のお昼の応援練習でも1人だけ倒れてしまいました。
先生いわく、応援練習を耐えられる人はこれからの高校生活もきっと上手く行くそうです。そして母親も「きっと皆、あなたがサボってるって思ってる」と言ってきました。それらの言葉を聞いて、応援練習もしっかり出来ない自分は高校生活を楽しむめず、受験にも失敗するのでは...と思い込みました。今でもそう思っています。
また4月の応援練習とは別に7月に野球応援練習というものがあります。4月のものほど厳しくないそうなのですが、私は自分が耐えられるかどうか、正直不安です。また今も応援練習のことを思い出すと動悸が激しくなり、過呼吸になってしまいます。
私の心を強くするためにはどうしたらいいのでしょうか?回答よろしくお願い致します。
拙い文章で申し訳ありませんでした。ここまで読んでいただきありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分で考え、自分にあった道を選び、全うしましょう!
ぬーこさんはじめまして、ご相談読ませていただきました。
色んな学校行事があるものですね・・・応援練習というもののイメージがつかなかったので、少々インターネットで検索してみましたが、中々過酷なもののようですね。
伝統には良いもの、悪いものがあると思いますが、もしもぬーこさんの学校での応援練習において応援団や上級生から暴力的な行為や、必要以上の威嚇、叱責があるようなら、私自身はそれについていかがなものか?と疑問を持ちます。その場に教員がついてきちんと監督しているならよいのですが・・・。
さて、応援練習を耐えられる人はこれからの高校生活もきっと上手くかどうかはわかりません。そんな保証はどこにもありません。
しかし、現実には学校を卒業して社会に出てからも、怒鳴るような上司がいたり、顧客から理不尽に怒られたり・・・ということはあるものです。
今応援練習を耐えるということは、これから先のそういった出来事に耐性ができる、ということはあろうかと思います。社会には様々な荒波が待ち受けています。
でも荒波への立ち向かい方は一つじゃありせん。人間には向き不向き、得意不得意があります。ぬーこさんがどうしても耐えらない、過呼吸になってしまうほど苦しいのなら、私は応援練習に出なくてもよいと思います。先生に相談なさってはどうでしょうか。これは単なる逃げるという選択ではありません。
超えられない壁を超える賢い方法の一つと思えばよいのです。
しかし、この道には弊害もあります。ぬーこさんのお母様が言うとおり周りの目もあるかもしれません。うらやましがる子や、ずるいと妬む子もいるかもしれません。そうした時ぬーこさんはきちんと説明しなければなりません。だからこの道もまたけっして楽な道ではありません。
お母様が言うことも、先生が言うことも、友だちが言うこともそれぞれあるでしょう。ぬーこさんが強くなるには自分で考え、自分で選んだ道を全うすることです。
でもね、応援練習が全てではありません。学校が全てではありません。失敗しても、自分の選んだ道を全うできなくても大丈夫。またやり直すことができます。
何かあったらいつでもここに相談なさってください。応援していますよ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
これからの学校生活や人生を自分の道を全うできるよう努力していきたいです。
狭くなっていた視界が広がりました。色々検討して自分の納得のいくように頑張りたいです。
本人にありがとうございます。