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兄の死

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今日、30年会ってない兄の死を遠い街の警察から知らされました。
このまま引き取りにこられないと無縁仏になってしまうので兄弟であるなら引き取りにきて是非供養して上げて下さいとのことでした。
今現在自分も仕事がなく葬式ももちろん供養なんて自信がありません。
兄にとって供養してくれない身内と供養してくれる無縁仏とではどちらが幸せなんでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

この世に無縁仏は存在いたしません

色々複雑な御事情がおありだったのでしょうね。
とはいえ、せめてお骨ぐらいは先祖のお墓に一緒に葬って差し上げるのが兄弟の義理というものではないかと。
80代というご高齢では、移動もままならない事でございましょうし、通夜・葬儀が難しいようならば、菩提寺さんを通じて最短ですませる一日葬儀でお願いして、お骨だけでも火葬場へ引き取りに行かれる事をお勧めします。供養に自信がないと言われましてもおよそ先祖のご供養はなさっておられると思いますのでご一緒に祀られればよいのではないでしょうか。
経済的な面は遺産から割りあてられれば良いと思います。
無縁仏になさると最終的に心に煩いを残されるのはあなた自身であると思います。
30年連絡を取り合わなかった兄弟であるからこそ、それなりの疎遠な対応をしてしまいたくなるのが人情というもの。しかれど、ぞんざいにすればそれなりの自責の念が起こるのもまた人情というもの。
頼れるお子さんや若い世代の御親戚にお願いして、高齢、体が不自由であることを理由に、謝礼をお出しすることを条件に代務として手伝って頂くのは如何でしょうか。
この世に無縁仏は存在しません。関わりがあって生まれてきたからです。関わりを断ってしまう冷たい人間の情があるだけ、我見がおこるだけです。親族の縁であるからこそ、あなた様のところに御連絡が入ったのです。
仮に縁を断っても、断つことが出来ないのが情愛・血縁なのです。
今一度、二人とも同じの親の子供であったことを思い起こし、すべての罪科を死と共に赦して差し上げ、血の通ったところへ導いてさしあげてはいかがでしょうか。
お体が不自由ならば代務であっても構いません。誰かにして頂いてでも、それをする事がこの世での何をさしおいてでもの人の子としての生き方ではないでしょうか。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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