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幸せになりたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 17

私は心穏やかに幸せになりたいと願っていますが
人は何故うまれ
日々どのようにして生きれば
心穏やかに過ごせ
幸せになれるのかわかりません。
心の病気だから仕方ないと寿命が尽きるまで耐えるしかないのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

インナマザー・コンプレックス

先日フェイスブックで母の日企画で母親との関係の改善のための法話を公開しています。良かったら読んでみてください。
親の顔色を窺って生きる。
それはウソつきライフです。
自分にウソをついている。
親が未熟ならば振り切ってでも自分を全うしましょう。
あなたは親じゃない。
親はあなたじゃない。
あなたは姉弟とも違う。
私も父母とは異なる存在。
自分は自分でいいのです。
徐々に徐々に、親から独立することです。
「あなたはあなたの人生なのだから、あなたの好きなようにしていいのだよ」とアナタから言ってもらうことです。これえを諦めずに、手応えがあるまで数回繰り返してください。これは、大変効果的な方法です。親はその自覚がない場合はそれによって促されます。
自分たちの愛の重たさを自覚します。
あなたが子供のままだからいけない場合もあるのですよ?
あなたが本当におとなであれば自分の意見をちゃんと親に押しつぶされずに冷静に感情的にならずに表明するべきです。それができてこそ親の呪縛は自分で断ち切ることができます。
完全にはなれなくていい。ベタベタでなくていい。
自分の生命は自分が全うする他ありません。
あなたの呼吸はあなたの呼吸で、お父さん、お母さんのそれとは異なるのです。
内なる母親、インナマザー。
それはあなた自身の母親に対する『想い』であって、あなた自身の心の作用なのです。
母だと思っていた。ところが、それは私独自の母への想いだったということを明らかにすればあなたは今日から自由になれます。長文ですが読んでみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ