回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それは修行中の事でした…
真言宗の修行には加行という100日間の厳しい修行があります。
日常にあるテレビやラジオ、新聞や電話や携帯など全て没収され、衣と身の回りの下着やタオル石けんなどと教本と修行に使う御次第のみが持つ事を許されるわけなんですが…
もちろん修行道場の寮に入り24時間生活は自由がありません。
寮監督の先生はそれはそれは厳しく…あんなことやこんなことは平気で…(略)
もちろん、廊下には塵1つ落ちている事は許されません。
何か不備があったらどんな罰を与えられるか…考えるだけで身の毛がよだちます。
修行僧は夜のほんの少しの時間で身のまわりの洗濯などをします。
そして…私は夜に自分の洗濯物を選択機から自分の部屋へ廊下を通ってはこびました。
その後、静まり返る薄暗い廊下に誰かの足音がします。
そして宿舎をつらぬくような大きな叫び声が響きました。
「だれだーーーー!!!廊下にパンツを落としているヤツはぁ!!!ああぁあぁ〜〜?」
私のパンツでした。orz
追記:お坊さんなんで幽霊やオバケはあまり怖くないです^^;
すべてが灰色に色あせた瞬間
学生時代ひろさちやさんの仏教マンガで宮越義勝さんという方の個性的な絵にドハマりしました。
本の中で遊女がお釈迦様の教えを聞いた途端、身につけていた宝石や装飾品が色あせたというシーンがありました。
「プププ、こんなことあるわけがない。」
ありました。
ある時、都内の坐禅会で凄い方がお話をされているというので本山をコッソリ抜け出して参禅会に参加しました。
老師の説法を伺っている中で、まさに身につけているもの、大事に持っていたもののすべてが色あせました。
それらよりも、素晴らしい価値を示してくださったという事でしょう。
獅子の咆哮<獅子吼>には全ての動物が恐れおののきひれ伏すように、仏陀の説法、本当の覚者により正法に触れるとすべての世俗的な価値あるものが価値を失うものです。
頼りにしてきたもの、よりどころにしてきたものが、価値を失い、真実の仏法がそこに提供されていたのです。
世の中には、上手な説法や優しい説法、巧みな洗練された説法というものがあります。
私にとってそんなものは不必要になりました。
「悟り」「無上菩提」「涅槃」という人生のあらゆる苦しみを滅するすばらしいお話を提供して下さるものよりほかに宝などありましょうか。