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どこまで頑張ったり、我慢すればいいでしょうか

回答数回答 1
有り難し有り難し 29

もし環境や、誰かに対してストレスを感じることがあっても、
自分が我慢すれば済む、自分が頑張ればこらえられる、と思ってしまいます。
それ自体、悪いことではないのかもしれませんが、そうやってすべて「自分が」担うことに疲れてしまうことがあります。

小さな頃から「大人っぽい」「しっかりしてる」などと周囲から評価されることが多く、
事あるごとに「自分でやる」ことが求められていたし、自分自身もそれが当然だと信じて疑いませんでした。

逆にいうと、誰かがなんとかしてくれるだろうと人任せにすることは、無責任でよくないことだと思っていました。

他人のせいにしてはいけないという責任感、どうせ誰も何もしてくれないという不信感もあるかもしれません。
その結果として、もし私が負担することで解決するのであればそれでいい、という自己犠牲的な考えが自分のなかで定着してしまいました。

それを繰り返すうちに、頑張ることに疲れてしまうことが多くなりました。
しかし疲れていても、そこは自分が頑張らなきゃとムチを叩いて、ボロボロの自分を引きずることしかできません。

そこでご相談があります。
「自分が」なんとかする、という姿勢に疲れてしまいました。
しかしそれでも、誰かになんとかしてもらおうと考えるのはやはり甘えである気がしてしまいます。
私はもっと誰かに委ねてもよいのでしょうか。
あるいは、疲れてしまわないためにはどうしたらよいのでしょうか。
もっと頑張りなさいと喝をいれていただいても構いません。

最後までお読みくださりありがとうございます。
ご回答お待ちしております。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ほどほど

くおん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

ストレスや不満、負担となるような頑張りや我慢は、正直、あまりよくありません。

私たちは、皆、それぞれ、独りで生きていけるような強い存在ではなく、色々なものに依存しなければ成り立たない弱い存在でございます。

その弱い者同士が、この厳しい世界で生きていくためには、互いに支え合い、助け合い、補い合い、分かち合っていかないと存在していくことは難しくなってしまいます。

あまり何でもかんでも、「自分がしなければ」とは思われ過ぎずに、できること、できないことのある中で、お互いにより良い依存関係をバランスよく保っていくことが大切となります。

あまり無理に頑張ろう、我慢しなければと思われ過ぎませんように。

ほどほどで、という余裕も必要です。

あとは、煮詰まらないように、休み、リフレッシュ、気分転換もうまく入れられてみて下さいませ。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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質問者からのお礼

川口様、
早速のご回答を有難うございました。

今までは、自分ならできると過信していた部分もあったかもしれません。
これからは良い意味で、自分の弱さを認められるように、
それでいて且つ、誰かに押し付けるのではなく上手に頼っていけるようになりたいと思います。

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