長く海外で暮らしています。妻は外国人です。
長く海外で暮らしています。妻は外国人です。普通に日本人の妻をもらい、普通に日本で生活していたらなと、時々考えます。
60歳後半で、いまさら日本へ帰ることもなく、普通の生活が出来なかったことを残念に思う自分は贅沢でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お気持ち、お聴かせ下さい
Danlopさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
細かい事情は分かりませんが、長く海外で暮らされ、奥さまも海外の方なのですね。外国の気候や習慣に慣れるのは大変だったでしょうし、ご夫婦間の理解も非常に努力が必要だったのではないかと思います。
私も実は、海外で生活していた可能性がありました。そうすれば僧侶になることも無く、外国の方と結婚していたかもしれません。今の生活に不満は無いものの、そちらの道を選んだら、どんな人生だったろうな、とフッと思うことがあります。
Danlopさんは60代後半になった今、日本で暮らし、日本人の妻がいたらどうだっただろう、と考えてしまうのですね。それは私のように「違う道を選んでいたらどうだったか」と夢想するだけではなく、「普通の生活が出来なかったことを残念に思う」とあったように、現在の生活に何か不満や不安を抱えていらっしゃるのでしょうか。
よろしければ、お気持ちをお聴かせ下さい。
★追記
現在の生活に不満は無い…むしろ贅沢な状況にあると感じ、ご家族にも感謝なさっているのですね。
でも、一時帰国した時に五感全てで感じた感覚に心が揺さぶられ、涙があふれた。言葉で当てはめれば「郷愁」というものになるでしょうか。
しかし、どんな言葉を当てはめてもDanlopさんが感じている切なさは解決するものではありません。誰もが「あちらの道を選んだらどうだったのだろうか」という思いは多かれ少なかれ持つのかもしれませんが、外国で生活するDanlopさんは、それが大きいのかもしれませんね。
迷いは消えないかもしれませんが、それでも「自分の選んだ道は間違いではなかった、素晴らしい人生だ」と思えるようになるよう、お念じいたします。
質問者からのお礼
浦上和尚様
ご親切にお答えいただき、本当に有難うございました。
現在の生活に不満、不安が特にあるわけではありません。健康で家族にも恵まれ(目の中に入れても痛くないという表現が本当だなと感じる孫も2人います。)、夫婦喧嘩はしょっちゅうですが、日本人である私をある程度理解してくれる妻に、口には出しては言えませんが、心の中では感謝しています。
こんなことを言うと、なんと贅沢なとお叱りを受けるかもしれません。
何度か日本へ帰ることがあり、ある時地方の小さな町の中を歩いていると、道路わきの所謂日本の民家からピアノの音が聞こえてきました。その稚拙な音からすると、きっと小さな女の子が練習していたのでしょう。道路わきにはその子の三輪車とお母さんのママチャリがきちんとおいてありました。お母さんはきっと夕ご飯の支度をなさっていたのでしょう、おいしそうな香りが漂いとてもやさしい気持ちにさせてくれました。
その時、突然涙があふれて止まらなくなってしまったのです。
人生は一回きりで、一度歩んだ道を引き返すことは出来ません。でも、もし日本で平凡に暮らしていたらなとその時思いました。どっちが本当に幸せだったのだろうかと。
浦上和尚様
早速のご回答ありがとうございました。
仰るように郷愁だったのでしょうね。誰でも私のような気持ちを持っていること、私だけではないこと。
自分の選んだ道は間違いなかった、素晴らしい人生だと思えるよう、いっそうの努力をしていきます。
恥ずかしいけど、妻にもっと優しくします。
本当に有難うございました。