感情をコントロールする智慧をご教授下さい。
はじめまして。
ネットで相談させて頂くなど 初めての事で 勝手が分からず
失礼がありましたらお許し下さい。
私は、白黒をはっきりさせないと気がすまない いい加減な事が嫌いな
完璧主義なところがあり 又、一番大変なのが 「短気」という性格です。
亡き母が 「短気は損気」と口癖のように申しておりましたが
全く その通りの人生で…
日々、そんな自分の性格をなおそうと 努力…というより 無理をしています。
人間関係の事では、
「 妬みや悪口は 受け取らなければ 相手は自分が持って帰るしかない」という
お釈迦様の教えを胸に 我慢我慢と自分に言い聞かせおりますが
哀しいかな 我慢している 時点で しっかり 受け取ってしまってる訳で…
傷つきもし 腹ただしく苦しい想いは しっかり味わってしまいます。
それでも 言動は 精一杯 控えておりますと
相手は 気付かず 調子に乗って更に エスカレートして行きます。
そして…結果的に 私の堪忍袋の緒が切れて 感情を爆発させてしまい
今までの自分の我慢も努力も自ら無駄にしてしまうという事が 度々です。
「受け取らない」事の難しさを痛感致しております。
お釈迦様がなさるような事が 私に出来れば 世話は無いわ!と思いますが
妬みや嫉み嫌味や陰口を我慢していると 自分の心が 怒りや恨みにしめられ
八つ当たりしてしまったり 身体の不調も起き 負のスパイラルにおちいります。
このような事で 大切な日々を無駄に暮らすのは全く勿体無く思い
感情をコントロールする よい智慧を拝借致したく 相談させて頂きました。
お忙しいとは存じますが、宜しくご教授の程 お願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
聖人君子を目指して完璧主義におちいるのは逆効果
日本人にありがちな誤解は『仏教を減点方式でとらえている』ことです。陰口を言いました、一点減点。八つ当たりをしました、合わせ技ナマグサ坊主の一丁上がり…そうじゃないんです。そんな悪行探しは苦の輪廻を回すだけです。
ありがとうが言えました、慈悲ポイント一点加算。物に当たりそうになったけど、振りかぶった所で我慢できました、不害ポイントも獲得!スバラシイ!!!これなんですよ仏教は。50点貯まったからどうという話ではなく、加点方式のような善行探しをする視点を習慣づけることで、苦を離れることができるのです。
追記
言葉足らずで申し訳ありません。切り口を逆にして書き直します。
私は先ほど草刈りをしてきました。あのくらいの面積なら補給用のガソリンは必要なかろうと思い、草刈り機一本だけ担いで行きました。人が立ち入る場所ではないので刈った草はそのまま土に還ってもらえばいいのですが、土手だけは下の歩道に落ちないよう、後で熊手を取りに行って刈った草を搔きあげておくか…そう思いながら作業しました。
ところが、2mかける2mほどの面積を残してガス欠になってしまったのです。仕方なく給油に帰りました。そして戻ってきて残りをチョチョっと刈った所で気付きました。給油のついでに熊手を取ってくればよかった…10年前の商売をしていた私なら生産性の悪さに腹を立てたでしょう。でも、今の私は違う。道すがら私が育てた菜っ葉を眺め、(ぼちぼち収穫して母に半分あげるか)などと考えながら、雲ひとつ無い晴れやかな空の下、歩みを進めました。
私が熊手を取りに帰ったことを無駄認定をすれば、嫌な思いをするのは私自身です。でも、その道中にも様々なご縁があります。そういう所に目を付ける習慣が、心に無駄認定を生じさせる隙を無くし、完璧主義を鎮めるでしょう。しかし、それは紫陽花さまもご存知のことですね。
結局、その先はトレーニングしかないのです。智慧は修行によって完成します。聞きかじりの知恵で救われるなら、世の中の苦はとっくに根絶されています。加点方式の着眼を自分で『習慣づける』しかありません。お坊さんは道を教えて差し上げることはできても、紫陽花さまを変えることはできません。ただ、トレーニングに適した環境をお望みでしたら、禅寺に行って坐禅という無駄極まりない時間に身も心もゆだねてみるのも善いかもしれませんね。
「入菩薩行論」(シャーンティデーヴァ大師)
紫陽花様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「妬みや悪口は受け取らなければ相手は自分が持って帰るしかない」というお釈迦様の教え・・
以前に、hasunohaの拙回答において、そのお釈迦様のお教えを引用させて頂きまして、それが注目されていましたものの、あれから色々と考えまして、あれはお釈迦様だからできることで、私たち凡夫ではやっぱり難しいのでは・・と思うところも実はございます・・
なかなかそう簡単ではないと・・
では、一応、私たちは受け取らざるを得ないとして、それをどうしていくべきであるのかということを考えないといけない・・と反省しております。
まあ、受け取ってしまって、苦しみとなってはいても、実体の無い「空」なるものであり、ただ色々な因縁(原因と条件)によって成り立っている「縁起」なるものであって、因縁により生じているならば、当然に因縁により滅することもできるはずです。
ですので、苦しみを滅するための方法論として仏教がございますので、やはり、しっかりと仏教を学び進めていくしかないというところでございます。
例えば、怒りや恨みを無くすための忍辱波羅蜜の実践や、あるいは、慈悲の瞑想などがその一例となりますでしょうか。
先日に大阪で行われましたダライ・ラマ法王猊下様のご法話で取り上げられておりました「入菩薩行論」(シャーンティデーヴァ大師)の中においてでも、忍辱波羅蜜の実践についてのことも扱われておりましたので、是非、学びの一つとして頂けましたら良いのではないだろうかとは存じます。
ダライ・ラマ法王猊下様・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』ご法話・録画
http://www.dalailamajapanese.com/webcasts/post/350-
テキストは・・
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』 」
今はAmazonで古書も出ていないようですね・・
ポタラ・カレッジさんでしたら購入できそうですので、ご興味がございましたら、下記を参考にされて下さいませ。
精読・シャーンティデーヴァ 入菩薩行論 (ポタラ・カレッジ チベット仏教叢書4)
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口英俊様、はじめまして。
早速のご教授 有難うございました。
今から ご紹介下さいましたリンクを訪ねてみたいと思います。
ですが…なにぶん難しい言葉など 理解力に乏しいものですから
又、分からない事など 質問させて頂けましたら 幸いです。
ご縁に感謝致します。
大慈様、はじめまして。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
ご教授 有難うございました。
大慈様のおっしゃいます通り 完璧主義というのは
誠に 自分自身も周りも疲れる事でして
その性格を 何とかしたいと お智慧を拝借したい次第です。
確かに 減点方式で 自分に対しても 他人に対しても
悪い事ばかりを みていたようです。
この度は 色々とご教授下さいまして有難うございました。
このご縁に感謝致します。
追伸: 川口英俊様
私の拙い文章から 真意を汲んで下さいまして有難うございました。
ご紹介下さいました本を購入し拝読させて頂きます。
追記させて頂きました。
大慈様 川口様
この度は お忙しい中、丁寧な回答を有難うございました。
大慈様が追記して下さいました 回答文も拝読させて頂きました。
大変 分かり安いお話でございました。 全ての事柄には無駄なものは無く
視点を変え そこに 某の意味を見い出すのも自分自身。
なにぶん 短気な性格 故に・・・・
お釈迦様の智慧を 手っ取り早く お坊様からご教授頂こうとしました事
お恥ずかしい限りです。
川口様にリンクして頂きました ダライ・ラマ法王様の「入菩薩行論」の
ご法話動画の視聴をさせて頂きました。
サイトにございました「心を訓練する八つの偈」も拝読し
難解な専門用語の羅列かと心配しておりましたが
大変 分かりやすいお言葉でしたので 仏教に親しみを感じる事ができました。
瞑想や坐禅等にも興味が湧いてきましたので
是非とも 実践してみようと思っています。
末尾になりましたが 「hasunoha」 のような取り組みは素晴らしい事ですね。
大変だとは 存じますが 今後も継続して頂ける事を願っております。
有難うございました。失礼致します。