何かしようとも何もできない
色々と相談事書きましたが、尽きる話しは、金縛りの状態と言うのが早いのでしょうか?
体が動きません、気持ちが重くてできません、周囲の目も声も悪意を感じるようになってる状態です。
因果応報とでも言えるのでしょうか?
怠惰な生活、人への妬みが今の自分に返って来たのでしょうか?
将来このままの状態が続くようなら 何もならなかった人生、最悪な終わり方をするようになる様な気がします。
悪因を断ち これからの人生を意義のあるものにするには、どうすれば良いでしょうか?
仕事もできない 意欲もない 人からも良くも言われない 毎日の不安 逃れると言うより立ち向かえる勇気と智慧を伴った行動ができるようになりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「因果応報」とは・・
ランド様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「因果応報」とは、世間の使い方では悪いイメージが先行してしまっている感が否めませんが、正しくには、善いことも悪いことも含めて、全てのこの世のモノ・コトというものは、因縁(原因と条件)によって結果が成り立っているという、「因縁果の理」のこととなります。
何も原因が無く、また、何も条件も調わないのに、結果が生じることはあり得ません。
例えば、種も撒いていないのに、花は咲きませんし、種を撒いたとしても、土や養分や水や光などの条件の無いところに撒いても、花は咲きません。
あるいは、土や養分や水や光と条件は調っていても、種がなければ花は咲きません。
もちろん、色々な複雑な因縁が無数に依存関係で絡み合って成り立っている世界であり、単純にこれとこれで、こうなったとは言えないところもございます。
しかし、良き結果へと向けては、やはり良い因縁は必要となるため、良い因縁を調えていかないと良い結果は全く望めません。
良い結果へと向けた良い因縁を積むためのヒントが仏教には多くございますので、是非、これを機会に仏教の学びも進めて頂けましたら有り難くに存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
有難う御座いました。良い因果を積む勉強をしたいと思ってます。
多聞、簡単に学べるものでないとは思うのですが・・・