hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

無償の愛とはどういうものですか

回答数回答 2
有り難し有り難し 50

漫画や小説を見ていると、よく主人公たちが、自分とは全く関係のない人を救おうと行動したり、明らかに自分のリスクが大きい状況や、可能性の低い目標でも、「誰か(自分を含めて)を助ける」という信念に従って諦めずに行動しています。
現実でも、自分の利益より人の幸せを思って、優しくあるいは厳しくできる人がたくさんいると思います。
私には、そういう考え方がいまいちピンときません。

この「見返りを求めないで行動する」「相手を思いやって人を助ける」とはどういうことなのでしょうか?
求めずにはいられないのが人間とも言いますし、自分の利益を求めてばかりでは人間らしくないとも言います。普通の人はどれくらいのバランスで他人と関わっているのでしょうか?

「無償の愛」の説明で「無条件の愛情」という言葉が出てくるのですが、それができる人はどういう人なのでしょうか。恩を売るのとはどう違うのですか?
それに、人は無条件で優しくされると、相手に借りができたと感じ、申し訳ないと思います。少なくとも私は逃げ出したいくらいには酷く辛いし、居心地が悪くなります。
それでも助けるということは、それ以上に助けなければいけない理由があるのでしょうか?私には、理由もないのに何もないところからパワーが溢れ出てきているようにしか見えません。そんなのはありえないとは思いますが…。

それでも、そういう無償の愛のようなものを理解している人は、とても安定していて幸せそうに見えます。受け取られるかわからない、自分にも利益のない優しさなのに、そんなに楽しいのでしょうか?

自分が今まで損得勘定で他人と付き合ってきたので、どうにかして「無償の愛」を学びたいと思っています。
自分のことだけを見ないように、相手の立場に立って考えようと思うのですが、「相手の立場に立つ」とはどんな感じなのか理解できません。どうも感謝の気持ちが湧きづらいです。普通の人の感覚を教えてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはもうちゃんとできていますよ

 「無償の愛」は、曹洞宗では「自未得度先度他」(じみとくどせんどた)という言葉を使っています。「自らは未だ度せざる先に他を度す」(自分の幸せを後回しにして他人の幸せを優先する)って事です。仏教でも大切なところなので、曹洞宗以外でも同じか似たようないい方をしていると思います。

 ここ、hasunohaでは、いろいろな方からの質問をお坊さんたちが無償で回答しています。答えるには時間も労力もかかります。でもやります。ここの質問を読むと、おしっこがしたくなるみたいに、書きたくなるのです。「利行にもよおさるる」のです。さてあなたは、ここで回答してもらっていかがですか?気持ちいいと思って頂けていたらうれしいです。お坊さんたちに「借りができた」と思いましたか?思わないでいただけるとうれしいです。私たちはここに答えることであなたから何かをもらおうなんて考えていません。あなたが私たちの答えでスッキリして頂ければ、それだけで十分です。これが「自未得度先度他」=「無償の愛」です。
 どうかな?理解できたかな?

 あなたはここに何回か質問してくださって、その「お礼」をきちんと書いてくださっています。きちんとした文章で、答えてくれたお坊さんの気持ちをきちんと配慮して書かれたものと思います。そのお気持ちはきちんと伝わっています。またあなたが「お礼」を書いてくださった事で私も救われました。あなたは「お礼」を書くことで、お坊さんから何かもらおうとかそんな気持ちで書いていないですよね?あなたの書いた「お礼」も立派な「無償の愛」です。ちゃんとできているじゃないですか!

 大丈夫。していただいた親切は素直に受け止め感謝し、自分がやってもらってうれしいな、と思った事を今度はあなたが他の人にするだけです。どう?簡単でしょ?

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
このお坊さんを応援する

「学ぶ」は「真似ぶ」

我が子をいとおしく見つめる母親の眼差しは、子どもに対して「私の事を愛してくれよ」等と見返りを求めていません。だから「無償の愛」の例えで良く用いられます。究極の愛ですから、煩悩を持つ人間にはなかなか難しい行為だと思います。だから、それができる仏様のお話を聞かせていただいて学んでいくのです。
「相手の立場に立つ」とは、相手の気持ちを理解しようと努力することです。相手の気持ちは100%理解できません。だって別の命だから。
けれども、国語の読解問題のように、前後の文脈や、その人の生い立ちに自らを重ねたりして推理することは可能です。間違っているかもしれないけれど、理解しようと努力する事によって、どんどん経験値を重ねて、相手の気持ちに寄り添えるようになっていくのだと思います。

「学ぶ」は「真似ぶ」が語源だそうです。仏さまの尊いお姿を真似させていただくのが、仏教です。
仏教を学んでみませんか?
追記…お返事ありがとうございます!自分が素敵だなーって思えることは真似ても良いと思いますよ!おうちが神教であろうと、宗教を学ぶことはとっても為になると思います。私も旧約聖書が好きで勉強しました。仏教に通じる所もあって、深まったような気がしてます。まずは体調を整えて、チャレンジしてみて下さいね!

{{count}}
有り難し
おきもち

みなさまこんにちは。 浄土真宗本願寺派の緇川(くろかわ)と申します。 ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

光禪様
また回答ありがとうございます。
ちょっとだけ理解できました。この行為も無償の愛に入っていたんですね。少し安心しました…。
でも、ごめんなさい、やはり義務感のようなものが拭えません。何かをもらう以外の、自己満足に近い利己的な考えも、頭から離れません。
うれしいな、と思って貰えるかどうかは私にはよくわかりませんし、自分がやってもらってうれしいな、と思うことは、少なかったりズレていたりで。
きちんと考えられるのも、こういうネット上の文章でのやり取りのような、プレッシャーも少なく冷静に改まって考えられる場だけで、しかも相手が答えてくださった方だからです。それ以外の状況はもうめちゃくちゃで…
こんな心持ちで他人に配慮してしまって、またされてしまって、本当に申し訳ないです。
ただ、その程度からでも、こういう行動は認めて貰えるのかなと思えました。伝わっていてよかった。ありがとうございます。

緇川様
回答ありがとうございます。
確かに、私に他人の気持ちを理解するのは難しいようです。母親の眼差しにも裏があるように見えてしまう人間です。
「学ぶ」は「真似ぶ」…ということは、フィクションも含めて、素敵な人たちの言動を考えたり真似てみるのは、間違ってはいないのでしょうか。
仏教にもこのサイトをきっかけに興味が沸いています。ただ、今は体調が悪く気力も体力も足りないので、いつか体が落ち着いたら、仏教も含めていくつかの事を勉強したいと思っています。家が神教なので、どうなるかわかりませんが…。
とりあえずは、経験値を少しでも積めるよう、優しくすることを諦めず心がけて行こうと思います。ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ