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孤独死、亡くなられた方の尊厳について

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

昨日、私の隣のお部屋の方がご病気か老衰によりお亡くなりになられました。
私は家賃7万弱の古いアパートに事務所を構えております。
お隣の方は「千葉」さんと言う物腰の柔らかい高齢の男性です。
死後1週間の発見だそうです。
こちらが簡単にはなりますが状況になります。
改めてご相談をさせて頂きます。
友人知人によると隣の部屋なら大家さんに言えば家賃は下がると言われました。
私は商売をしておりますので経費は下げられるのもならば下げたいと考えております。
但しそれをしてしまうと亡くなられた千葉さんが最終的に大家さんや私に迷惑をかけている事になるのではないかな?っと考えてしまいました。
千葉さんの生き方にケチを付けているようでなんだか申し訳ない思いもありますし、亡くなられた後にこのような行いをするのは人として如何なものなのかなっと。
まとめるとこんな形です。
①経費削減の為に家賃は安く抑えたい。
②亡くなられた方の尊厳も守りたい(とても好きな方でしたので)
人の死によって家賃を下げると言うのはいかがなものかと考えております。
自分なりに今までのままで良いのではないかなと分かっている所もありますが、お坊さんのお話が聞きたくて相談させて頂きました。先程友人には1万位下がれば良い方だから、もし亡くなった方を思うなら成仏を祈ってあげた方が良いんじゃないかな?その方が商売も上手くいくよ!っと気持ちよく言われました。まさにその通りだと思いました。
その方が良いですよね。
なんだか答えがわかっている変な相談ですみません。
お坊さんの意見も聞きたくて・・・お時間有りましたら宜しくお願いします


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏さまは「いのちや人生に優劣はない」と教えてくださいます

 オーガさん、大好きだった隣人「千葉」さんがお亡くなりになったのですね。悲しい気持ちや「何か出来ることはなかったか」いう後悔の気持ちなど、様々な思いが巡っておられることと思います。しばらく、心の揺れは続くと思います。心からお悔やみ申し上げます。
 さて、家賃と「千葉」さんの尊厳という2つのことで悩んでおられるのですね。オーガさんは、いろんなことを大切に考えられる方なのですね。とても誠実なお人柄が伝わってきました。私自身、世間の価値観と仏教・浄土真宗(=出世間)の価値観の狭間で様々な物事に悩み、壁にぶつかってきました。
 お釈迦さまは、「どのいのちも尊く、どの人の人生も大切である」と呼びかけ、私たち一人一人の生きようとする力を支えてくださっています。その働きは、無分別智といわれます。それに対して、私たちの世の中(世間)は、様々な区別・分別・優劣のものさしであふれています。勉強が出来るか否か、友達が多いか否か、学歴が高いか否か、自分にとって損か徳か、役に立つか否か・・・。そのようなものさしで人を振り分け、その人生に優劣をつけ、そのいのちまでも比較してしまう世の中です。ですから、他人に振り落とされないよう、世の中から落ちこぼれないようにと、それぞれが相手を利用し、でもお互いに疑心暗鬼・人間不信に陥いっているのです。そして、一つでも上手くいかなくなると、「もう生きていけない、生きる意味がない、生まれてこなかったら・・・。」と極端な自己否定に進んでしまう人々が多くなっています。このハスノハに参加させていただく中で、その傾向を強く感じています。
 そのような世の中だからこそ、出世間であるお釈迦さまの無分別の智慧と慈悲が、私たちに新たな目覚めを促してくださるのです。オーガさん、「千葉」さんの尊厳は、娑婆世界が決めるものではありません。家賃が下がるからといって、仏さまは、「千葉」さんの尊厳をないがしろにはなさらないということです。「千葉」さんの尊厳は、仏さまの世界=無分別智が決めてくださっています。だから、そのことをオーガさんがいつでも思い出してください。そして、日常生活でふれあう方々ともそんなまなざしで、(利害損得を超えて)見守ってあげることができたら、ステキですね。このハスノハへ勇気を持ってお声かけを頂き、有り難うございました。ご縁に感謝!!合掌

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有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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人の価値はお金ではかれません。

オーガさん、初めまして。
千葉さんの死を、自分の仕事の助けにするのは人としてどうか…ということで宜しいでしょうか?
オーガさん自身も答えは出てるようなものと仰っておられますし、私自身ではどちらでもいいと思っています。
大切なのは考え方です。
千葉さんが死んだ➡悲しいけど家賃が下がって助かったという考え。
千葉さんが死んだ➡死につけこむより、成仏を願って仕事が上手く行くことを期待しようという考え。
どちらも人の死を自分の金銭的利益にしようという考えですよね?
これでは、悲しんでるといっても説得力は半減すると思われませんか?
浄土真宗では亡くなった方は仏となって(成仏)私たちを救う為にはたらいて下さると聞かせて頂きます。
死んだ後のことを、死んだことのない私がどうにかすることは出来ないんです。
例えば49日の供養がありますよね。あれは7日毎、7ヶ所の裁判所に行って、この世での生き方を裁決され次に生まれる場所を決められる訳です。いわゆる地獄のような悪い世界に生まれないよう、遺族が代わりにお坊さんに御経を読んでもらったりして、死んだ人の徳にしようとするのが49日の法要の元々の意味だそうです。
じゃあ死んだ人がどうなったか?それは誰にも分かりません。
私をはじめ、自分の都合に合わせて仏を頼ったり神に頼ったりしますが、それは私の人生を良くすることでも、相手の非をなかったことにすることではありません。
死んだ人のことを心配したり頼るより、大好きだった千葉さんをお手本に自分の人生を見直してみる。
尊敬するところを見習う。
その行為こそ、亡くなった人の人生を尊敬することじゃないでしょうか。
今の捉え方ですと、どちらの選択をしても何か悪い事があった時に、「千葉さんの祟り!?」と思ってしまいそうで口を出させて頂きました。
家賃交渉をしても、千葉さんのお陰で助かった。死んでもなお人から思ってもらえるような人間に自分もなりたいと思えば、千葉さんの死もオーガさんの栄養となります。

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有り難し
おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 ...
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