愛と執着
こんにちわ。初めて相談させていただきます。
私は15年前にすごく愛していた彼と別れました。
〔別れた理由は彼の浮気、しかも浮気していたのが元恋人で今は彼の妻です。結局彼はこの女性を忘れてなかったのですね。最後は結局結婚してますので。 中絶 私が彼を束縛〕
そして疲れ果て別れ私も今の主人と結婚しました。結婚当時はまだ別れを引きずるも、
妊娠、出産、子育てと、忙しい日々の中徐々に忘れていき幸せな結婚生活を送っていました。
それなのに1年ほど前に偶然にも再開してしまい
お互いすぐにまた深い関係になってしまいました。
そして彼に執着してしまう様になってしまいました。愛しすぎてもう自分ではどうしようもなくなってしまいます。
私の性格はまわりから言わせると、あまり細かい事気にしない、ポジティブ と言われますが
彼に対してだけはどうしても後ろ向きというか
死んでしまいたくなるほど自分が価値の無い人間に思えてきます。
これは愛ではなくて執着というものでしょうか?
愛しすぎるから執着するものではないのでしょうか?
もうわかりません。ただくるしくてくるしくて
どうしたらいいのかわかりません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何を愛と呼ぶか
こんにちは。「何を愛と呼ぶか」というタイトルにしましたが、言葉というのは名付けに過ぎない面があります。首輪をつけ、ワンワンと鳴く動物に、「これをヌイと名付けましょう」と、貴女の頭の中で定義することはできるのです。ただ、周りから見ると「それ、犬でしょう?」というだけ。つまり、貴女が「これは愛?それとも執着?」とお尋ねになるとき、それは「周りから見てどうですか?」という質問なわけです。
周り?アンケートする訳に行きませんね。取り敢えず身近な方に聞いて…みますか? ご主人に。
…聞くまでもありませんね。
仏教では、では「愛はいいもの、執着は悪いもの」と言っている?確かに「愛」って言葉は、あんまり使いません、キリスト教さんが「愛です愛です」って、凄く重要なキーワードとして使っているようですから。
で、仏教では…「人間の愛は、結局のところ執着の一つである」と言います。あ…これ、相手を限定している愛のことですよ。「自然を愛す」くらいのレベルであれば肯定されるでしょうけれど、スケールが大きすぎて、いま問いを頂いたような「愛」という言葉とは別物に見えます。はい。愛そのままで執着。これが仏教の理解です。
このhasunohaにおりますと、およそ世の中に不倫している人の何て多いこと!と感じてしまうのですが、一方それだけ悩み苦しみの元になっているのだな、と感じます。
貴女も人に「お母さん」と呼ばれるのであれば、自分の過去全てを懸けて子どもに対峙しなければならないことも出てくるでしょうよ。全身全霊で子どもを止めようとすることもあるでしょうよ。そのとき、旦那さんとの関係が今のようでは、子どもをみすみす不幸にしてしまいそうで、心配です。貴女のご一家全員が。
質問者からのお礼
佐藤様
お忙しい中、回答いただきまして誠にありがとうございます。
過去にとらわれず彼にとらわれず
子どもと主人に向き合おうと思いました。
ありがとうございました。