お墓
お世話になります。
私の母はお墓にお参りしなくても高野山奥の院の納骨堂へ手を合わしに行きなさいと言われました。
納骨堂に3ヶ月に1度は線香をたてて手を合わしに行きます。
そこに、お骨が入ってると言われました。
私は、お墓に行ってお水をかけて、会いに行きたいと思います。
お墓と同じだからと長い間お墓には行ってません。
私は奥の院が好きです。
好きという言い方はおかしいですが、あの場所に行くと体がすぅーっと、軽くなったような、清々しい気持ちになって帰ってきます。
私は仏さまも、神様も信じています。
変な言い方をしていたら申し訳ごさいません。
私はご先祖さま、神様に守られている気がしてなりません。
家庭ではいろいろありますが、私にはこの道を歩みなさいと人生の道を開かれている気がするのです。
こんな勝手な考え方をしてもいいのでしょうかすいません。
話がおかしくなりましたが、お墓のほうにやっぱり足を運んだほうがいいですか?
宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今、お墓はどうなっているか見に行くくらいはしなさいよ。
私個人の意見はこれで供養していると思いますが、お墓が今どうなっているか見に行った方が良いかもしれません。家族の中で誰がお墓の責任者かは分かりませんが、見に行くぐらいはしましょう。そして、掃除と祈りは致しましょう。何事も野放しはいけませんよ。もし、あなたが亡くなった場合そのお骨はどこに埋葬するかも関わってきますのであなたの子子孫孫の事も考えましょう。あなたは自分のためだけに生きているわけではなく、多くの支えで生きていることを考えましょう。そして実感しましょう。
注意事項を1つ、真の信心とはただ癒されるとか、安心するというものだけではありません。辛いことも、悲しいこともあってそれをそのまま受け取ることが真の信心です。あなたの都合のいいことだけ起きることは「ご先祖さま、神様に守られている」ことにはなりませんよ。降って欲しくないときに振る雨も、財布を落として無くした時も「ご先祖さま、神様に守られている」ことになることを考えて下さい。自分の都合の悪いことが起こった時にあなたの信心が試されるときです。
質問者からのお礼
有難うございます。
悪い時も良いことも受けとめています。
先祖は母や、母の兄弟がお墓を綺麗にしています。
また近くに、お墓に手を合わしに行こうと思います。