繊細で身体が弱い人が生きていくには
私は子供の頃から身体が弱く、学校も休みがちでした。
大きな持病はないのですが、元から身体が弱いのでいつ具合が悪くなるかわからない不安と、家庭環境が大変だったのでいつも不安を抱えていました。
大人になってからフルタイムで働きましたが、女性だけの職場特有のストレスと一日中立ち仕事で体調を崩し、長くは続かず、その後もフルタイムで働きましたが体調を崩し救急車で運ばれたり、薬を服用しながら、点滴を打ちながら会社に通っていました。
今は結婚して仕事はしていませんが、疲れやすく、人付き合いでストレスを溜めやすく外出出来ない日もあり旦那に用事をお願いすることもあります。
外出先で具合が悪くなることも多く、早めに切り上げて帰ってきます。気疲れや人疲れが酷いです。
昔のようにいつ具合が悪くなるかわからないので薬などは飲んで外出したり、持ち歩いています。
人よりも繊細で身体が弱いと周りからは言われます。色んなことに過敏で、生きずらいです。
自分とうまく付き合っていくしかないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一滴の水のままではなく
自分の身体と向き合って、努力を重ねてこられたうどんさん。
人よりも繊細で身体が弱いとのこと。
確かに図太くて身体が強い人より苦労は多いかもしれません。
祖師の言葉を拝借して。
「一滴の水を大海になげぬれば三災にも失せず…」という言葉があります。
一滴の水は、そのままだとはかなく蒸発してしまいますが、大きな海の中に入れば永遠になくなることはありません…という意味です。
人1人、誰しも無力でそして無常な存在です。
今健康な人だって、明日事故や病気にあい五体不満足になるかもしれません。
ですから、社会で生きるものとして、自分を一滴の水にしないことが大切です。
社会は海です。中に入ればはかなく消えていくことはありません。
「自分とうまく付き合っていく」より「周りを頼りうまく付き合っていく」のはいかがでしょう。
人付き合いでストレスを溜めやすい、気疲れしやすいとあるので、周りに頼ることはもしかすると苦手で遠慮しているのかもしれません。
でも、頼ることって悪いことじゃありませんよ。
頼られると人は嬉しいものです。仲が深まります。
「頼ること」とは、完全に依存することが目的ではなく、安心を得、相手や周りに感謝を表し、自分自身が逞しく堂々と生き、いずれ自分も誰かに頼られる人になっていくこと。
そうすることが社会でうまく生きていくことだと私は思ってます。
もし頼り慣れていないのなら、まずは身近な存在である夫。家族。
そして友人。他人。何よりも神仏!
神仏はどんなに頼っても決して嫌がりませんし、応援してくれます。
身体は弱くても、仏の教えによって心は鍛えることができます。
生きづらい世の中。だからこそ、お互いを頼りにしてうまーく生きていきたいものです。
質問者からのお礼
回答を見させていただいてからしばらく考えていました。
仏様に手を合わせて、健康になれるように、家庭がうまくいくようにお祈りしようと思います。
旦那様は健康で複雑な家庭で育った人の気持ちは理解できないそうです。これからお互いぶつかって歩み寄る努力が必要みたいです。
家族は死別したり病気で頼りにはできないので、友達や他人に相談に乗ってもらえることはしていきます。
一人で生きていくのは難しいですね、頼って頼られて感謝していきたいです。