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ペットの供養

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

何度もお世話になっております。他にも質問されたい方がいるなか、またお坊さんもお忙しい中、何度も相談してしまいとても心苦しいのですが、どうか助言頂きたいです。

私は以前、沢山の動物を飼っていたのですが何匹もお世話をしないで殺してしまったことがあります。ずっと後悔していて最近餓死させてしまった子達を思うと食べることに罪悪感を覚えもう食べたくないと思うようになりました。いまは食べることが辛くなるべく食べないようにして親に怒られない程度に水や食事をしています。また幸せなこともよくない気がして一日中ぼーっとしていることが多いです。
こちらで手を合わせ謝り、生まれ変わりを祈ることを教えていただき、できる限り、一匹ずつに朝晩お祈りしていたのですが、どうしても親に心配されたり、怪しまれたり、またお祈りしてるときにかなり緊張してしまいそれがすごくストレスで最近できずにいます。
この間、久しぶりに自分の好きな曲を聞いたりして自分の好きなように時間を過ごしたら次の日にその歌手に偶然会い次の日の深夜に手を縫う怪我をしてしまいました。私が悪いことをしたからそのせいなのでしょうか。これは私への罰なのでしょうか。お祈りを後回しにした私は最低です。
今度、手が治ったらお寺にお祈りしたいと思います、これは供養になりますか?いまのお祈りもどうしたらいいでしょうか。
教えていただけたら幸いです
よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

善い生き方から

Deさんは優しいお心をお持ちですね!
過去の行いに対し罪悪感を感じるのはやむなしかもしれませんが、きちんと反省して生きるということは、その過去の自分との決別です。

アングリマーラという、迷いから人を殺して回った人がいました。
お釈迦さまから教えを授かり、彼は出家しました。
お釈迦さまは「殺人鬼だった彼はもういない、ここにいるのは出家者の彼だ」と説かれました。

Deさんと(サイトを通じてできた)仏さまとのご縁は、ある意味で飼っていたペット達がもたらしてくれた尊いご縁です。
食べることが罪悪感とは思っているうちは、まだ決別しきれていません。
まずは手を合わせることより「善い生き方」にしていくことが、動物たちへの何よりの供養です。

「善い生き方」とは、日々の食べ物に命を頂いていると感謝してしっかり頂き、お母さんには心配をかけず、幸福は幸福として、不幸は不幸として、別々のものとして自分でしっかり受け止め、自分の命の時間を無駄にしない生き方です。

まずはこれができてから、初めて手を合わせる供養をしましょう!
個人的には家よりもお寺に足を運び、そこですることをオススメします。

動物の世界は「畜生道」と言われ、いつ死んでもおかしくない不幸な世界です。
家畜、捨てられたペット、害虫として殺される虫などなど…

手を合わせるなら「自分自身の懺悔のため」から少し発展させて、こうした人の都合で命を失ったすべての存在に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。お忙しい中、とても感謝しております。

まずは『善い生き方』について教えていただきいまの生き方を見直すきっかけになりました。精神病も患っているため心配ばかりかける生き方をしていたと思いますし、罪悪感で悩みながら一生送るのがわたしの正しい生き方だと思っていたのでいまの生き方についてよく考えたいです。
そしてそれが供養になるのですね、まだ不安なのですが挑戦したいです。
そして今度はお寺で供養したいと思います。
『畜生道』というものがあるということも勉強になりました。確かに自分本意の懺悔ばかりで動物に対する感謝が足りていなかったのではと痛感しました。
まずは彼らを敬い、感謝することから初めてみたいと思います。動物に対する考え方を変えるきっかけになりました。

重ねてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ