鬱病になりました。
5年前交通事故で三女を喪いました。
それまで人の死などまともに考えた事がありませんでした。
ですが大切な子供を喪い、私は鬱病になりました。
三女を喪ったきっかけで長男の知的障害、
二女の精神障害などがバタバタ見つかりました。
三女を救ってあげられなかった悔しさ、二女の気持ちに気付いてあげれなかった虚しさ。
四女が小学校入学し、行事事に思い出される三女の無念。やりきれない気持ち、私はその度病んでしまいます。
私自身も鬱病になりましたが、鬱病以外に今まで知らなかった
注意欠陥障害、広汎性発達障害などがある事を知らされました。
この障害がある事から、幼少の頃から人間関係は上手くいかず、全てに失敗ばかりしてきたのだと
納得が行きました。
仕事を見付けても、長くは続きません。
ちゃんと働かなくてはならない事実、残された子供たちを養わなくてはならないと、分かっているんですが、常に上手くいきません。
毎日、毎日、薬を飲んでも
三女が生きていた時みたいに元気になる事はありません。
ただこのままではいけない事だけは分かっています。
どうやって頑張れば良いのか?
どうやって踏ん張れば良いのか?
御言葉頂けると有り難いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出会うものは宝である
ガチャピンさん、はじめまして。
ガチャピンさんは娘さんを亡くされ、失意の中でご自身も鬱病を患っておられるのですね。お悔やみ申し上げるとともに、御心痛お察しします。
さて、ガチャピンさんは娘さんを亡くされたことをきっかけに、ご長男の知的障害やご長女の精神障害、またご自身の注意欠陥障害などが見つかったのですね。
どれもご本人にとって生きづらい原因になりますが、別の見方をすることができます。
1/4の奇跡をご存じでしょうか。
ある村で疫病が流行りました。どんな薬も効果がなく、次々と村人が亡くなっていきました。駆け付けた緊急医療班もさじを投げ、村は全滅してしまうのではないかと思ったたとき、不思議な現象に気がつきました。村の一部の人は疫病が発症しなかったのです。結果、村は全滅せず一部の人だけが生き残りました。
緊急医療班は、生き残った村人の血液を調べました。すると、赤血球に先天的な異常が見つかったのです。先天的な異常のおかげで、1/4の村人は生き残ることができたのです。
これを1/4の奇跡として語り継がれています。
疫病から村人を救ったのは、血液の先天異常でした。つまり脳の先天異常であれば、発達障害や精神障害に該当します。つまりガチャピンさんは1/4の奇跡を生きているのです。
仏教の宗祖は、「心が迷いに閉ざされているときは、めぐり合うものはすべてが不幸な出来事になる。しかし、悟りの眼を見開いていれば会うものはすべて宝である」と説きました。
ガチャピンさんは埋められない心の穴がぽっかり空いていても、それはいずれ大きな宝となることでしょう。ガチャピンさんが心穏やかに過ごすことができるよう祈念しております。
質問者からのお礼
觀音寺 / 中村太釈様
とても勇気付けられました。
子供たちとこれからも頑張って生きます。
ありがとぉございましたm(__)m