修行中に異性を好きになったりしませんか?
結婚を許されている宗派もあると思うのですが、許されていない宗派の方も、異性を好きになったりしませんか?
私はもうかれこれ3~4年片思いしている人がいます。
正直、好きになってすぐは『付き合いたい、触れたい』と所有欲と衝動的な欲求もありました。それが3年過ぎたあたりから、ただ好きなだけになりました。
その人はずっと彼女がいないから、前は『彼女が出来たと聞いたら、泣いちゃうかもな』と思っていました。今は、もし急に『結婚することになった』と聞いても多分大丈夫です。
一番つらいのは、その人から軽蔑されたり、嫌いになって見放されることです。
人を好きになるって片思いでも、心の中がほかほかしてきて素敵なことですね。心の中に決して消えないロウソクの灯りがともっているようです。
事務員、母と妹と3人暮らし(父は他界)、お互い自立しつつも支えあいながら生活しています。くよくよしがちな性格ですが、おかげ様で最近は前より明るく物事を考えられるようになりました。目指しているのは、いつもにこにこして心がきれいに澄みきっている人です。
自分が一番になりたい、人より優位に立ちたい、嫌なことがあったらすぐ顔や態度に出してしまう。そんな自分のこどもっぽい我をコントロールすべく奮闘中です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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修行中は他の余裕なんてなかったです。
私の場合、修行中は体力的にも知力的にも精神的にも限界を超えていたので、どんな小さな事も全力投球でないとこなせなかったので、とても恋愛とかそんなことまるで別世界でした。
物事はわりと遠目に観ていた方が無難で綺麗で理想化される事が多いと思います。
しかし、実際に飛び込んでみると経験したものにしか感じ取れない世界が広がっていたりするのだと思います。
恋愛も片思いだと、切ないですが美しい恋心だと思います。
しかし、両思いになり恋愛に発展するとちょっとどろどろとした部分も出てくると思います。
そして結婚すればその生活の中でどろどろはもっとハードになっていく事が多いかもしれません。
しかし、そのどろどろの中でこそ掴める喜びや幸せもあると思います。
どちらを選んで行くかはその人次第ですね。
質問者からのお礼
最近、禅に関する本を少し読みました。雑念を取り払って、目の前にあることだけに集中するのが修行とあって、修行中はそれどころじゃない、という意味が理解できました。(日常のお掃除や料理などでも修行になるんですね。) お坊さんの修行に少し興味が湧きました。 少し離れたところからみる景色が一番きれいというのも納得です。離れているからこそ、理想が膨らみます。 答えにくかったと思いますが、ご回答いただいてありがとうございました。