もうわからない
私は今就職活動をしている学生です。面接などを受けており、先日も第一志望の会社を受けてきました。その際、面接官の人も対応がよく、なんとか大丈夫かなと思い終えることが出来ました。
しかし結果は不採用でした。よく会社は縁だから落ちたことで気にするな!と言われますが、さすがに落ち込みました。
それ以降本当に私は就職ができるのか不安になり、趣味もろくに楽しめなくなり、今では些細なことでもイライラしてしまいます。どのようにすればよろしいでしょうか。なにかアドバイスなどがありましたらぜひ教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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因縁の道理と運命論の違い
まっさん様はじめまして、ご相談拝見しました。
就職活動は過酷なもので、心身ともにお疲れのことと存じます。どうかご自愛くださいませ。
就活で選考に落とされるということは、「あなたは必要ない」と言われているようで本当に精神的に辛いですよね。
でもけしてそんなことはありません。何よりもまっさん様ご自身がご自身の味方でいてあげてください。何を言われようが、どんな目に合おうが。自分自身が自分を奮い立たせる一番の理解者であると思います。まっさん様のこれまでの努力を自分で認め、誇りに思ってください。
さて、「会社はご縁だから」という言葉での「ご縁」がどのような意味で使われているのか私にはわかりかねますが、ご縁とはけして運命論ではありません。その会社には入れない運命だったんだとなると希望も何もありません。
運命とは最初から最後まで全て決まってしまっているということです。
縁とは運命とは違い、条件のようなものです。望む果(目標達成)のためには自らで調えられるご縁(条件)は自らの努力で調えていくことが大切かと存じます。
しかしやっかいなのはこのご縁というものは自らの思い通りになるものと、ならないものがあることです。
全て思い通りになるのなら「努力は必ず報われる」という論理が成り立つことになります。しかし実際にはそうでなく努力しても涙を飲む方もいらっしゃいます。
けれども結果からみると、目標達成をした方はまず因を作り(必要なことを行い)、その上で縁を調えている(すべき努力をしている)方が多いことと存じます。
ここに人間の人生の希望があるのだと思います。努力が報われるかもしれない、すなわち、人生は自分で切り開いていくのだという希望です。
またこの因縁の道理、ご縁というお陰様の世界を知っている者は、自らの思いや努力が報われなかったとしてもその結果を受け入れていくことができるのだと思います。結果でなく過程に尊さを見出せるとでも言いましょうか。
今、まっさん様にできることは自らを信じ、成すべきことを成して結果を待つことです。応援しております。
質問者からのお礼
お答えいただきありがとうございます。
やはり自分のことを変えるのは自分だけしかできないということを知ることが出来ました。未だ自分に自信を持つ事はまだ難しいことですが、少しずつ身につけていきたいとおもいます。
この度はお答えいただきありがとうございます!