回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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好きな気持ちを行動に起こさせないようにしなさい。
華楠さん、こんにちは。
既婚者を好きになってしまったのですね。
以前の質問での回答もなかなか受け入れられないのでしょうか?
私も他の回答僧と答えは同じです。
好きになるのは本能なので、なくすことは無理です。そこは無理する必要はありません。
好きでいることはまったくかまわないのです。その好きな気持ちを行動に起こしたらダメなだけです。それを理性で抑えなければなりません。理性で抑えられなければ物理的に抑える技術を持ってください。
本能は、理性とは関係なく、湧き上がる泉のようなものなので、湧き上がってきた時はその気持ちを違う方向に向けるのです。しばらく時間が立つと本能は収まってきて、理性でコントロールできるレベルになります。人間の人生はその繰り返しです。
もし職場であれば、仕事以外は話さないという方法もあるでしょう。余りにも近すぎたら仕事を辞めるという力技もあります。とにかく会わず自分の生活空間からなくすことが大切です。
そして、早く違う人と恋愛をすること。それだけのことです。
恋愛は盲目です。その人だけしか見えなくなります。自分の運命の人ではないかと、心がかってに暴走します。若い時は仕方がありません。でもそれは10代まで。成人したら本能の愛と同時に理性の愛も必要になります。本能の愛で暴走すると結局、判断を誤り、不幸になる確立は多いでしょう。今回の既婚者への恋もそうです。もし近づけば不幸になるのは目に見えています。もっと華楠さんも大人の愛を作っていくべきです。世の中には、好きな人より素晴らしい男性はたくさんいます。自分を磨いてもっと素晴らしい男性を見つけましょう。
がんばって!合掌
冷静になりましょう
タイトルの通りです。
…っと言ってもなれないのでしょうか。以前のご相談から拝見しました。
ずっと同じ方を好きなままなのでしょうか。辛いでしょう。苦しいのでしょう。それでもその苦しみを超えるような甘さ、心地よさが一時的にも与えられることによって華楠様をくるわせているのだと思います。
飢えて乾いては苦しんで、潤ったかと思えばまた乾く…。もっと欲しいもっと欲しいと。
それを仏教では「渇愛-かつあい-」と呼びます。欲望の満足を果てしなく求める心です。
渇愛は「受-じゅ-」によって生じます。苦や楽を感受することです。正に今感じていると思います。「受」は「触-そく-」によって生じます。外界との接触、つまりお相手との接触です。
わかりましたね?もう会わないでください。会わなければやがてその苦しみは去ります。
…というわけにもいかないのでしょう。ご事情がご事情のようですから。
それではどうするか。苦しみの根本原因は「無明-むみょう-」です。真実に暗い、「真理-ほんとうのこと-」を見失っているということです。
以前からお坊様方が華楠様の目を覚まそうとしておいでです。どうか耳を傾け、心を整え、行動に移してください。
諦めるとは事実を事実として明らかに知り、受け止める、受け入れるということです。華楠様は事実を受け入れておりません。捻じ曲げて自分に都合のいいように解釈しておいでです。
引き合いにだして申し訳ないですが、某女性有名人のインタビューを見ましたか?妻があれを見た時泣いていました。その表情を見て、この人まだ彼の事を好きなんだなと言っていました。それでも彼女は受け入れましたね?
それが諦めるということです。目を覚ましてください。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
自分のできることからやってみます