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前向きになりたいはずなのなに、どうしてもなれません

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こんばんは、2度目の相談です。

どうしても前向きになれません。

後ろを向かないように、何とか頑張っているつもりです。

以前はあった鬱症状もおさまり、何とか人並みに生活できている…と、思っています。

しかし、何気ない生活のなかでも、他愛ないかこの失敗を思い起こして、誰にたいしてなのか「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返し、「大丈夫、今頑張ってる、死にたいけど死なない、大丈夫」と重ねるように呟いています。

密室に一人で居るときの癖のような独り言なのですが、その度に虚しくなって虚勢を張る自分に気付かされます。

小中と苛めにあってきました。
そのためか、同世代の女性が怖くて、関わることができません。

そんな彼女たちに復讐心すら芽生えますが、実行する気も、そんなことに労力を割く気もありません……
それを母に言うと、そんな愚かなことを考えるのか、と責められました。

自分でもそれは汚い感情で、どれ程矮小な価値のない人間であるかなんてわかっています。

でも、苦しくて苦しくて、前になど踏み出せそうにありません。

きっと彼等に出会ったら、取り乱して嘔吐してしまうと思います。
今までも何度かありました。

こんな感情のままでは前向きになどなれるはずがありません。

前向きになれません。

でも、必死に生きてます。
這いつくばって生きてます。

死にたいと、そんな愚かなことを考えることがなくなる日が来て欲しい。

未来の事など考えきれない。
そんな自身を払拭したい。

その為だけにただただ生きています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今なすべきことを努力しよう

過去を追うな、未来を願うな。過去は過ぎ去り、未来はまだ到っていない。現在をよく観察し、今なすべきことに努力せよ。

私の背中を支えてくれる言葉です。

必ず前に進まなくてはならないわけではありませんよ。

二歩下がっても、一歩踏み出せば良いのですよ。

これでは全然前に進まないじゃないかと思われるかもしれない。

大切なのは、前に進むことよりも、前に進む気持ち・姿勢を持ち続けることですよ。

下向きながらでも良い、後ろに戻っても一歩で良いから足を伸ばしてみましょ。下を向いていないと見えない景色もあります。

汚ない自分が見えてしまったら、少しずつ汚れを取ればいいだけですよ。どんなに汚ない心でも、時間かけても少しずつ汚れを取ればキレイになります。

苦しいだらけの人生ですが、そんな中でも前に行こうという気持ちを持っていれば、小さな幸せの花が咲いてくれますよ。そんな花を見つけてみましょうよ。

あなたの背中を支えてくれる人はたくさんいますよ。いつでもまた相談にいらしてください。

南無妙法蓮華経

合掌

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人生は苦しみや悩みで満ちあふれています。その苦しみや悩みに明るい光を射して...
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和をもって貴しとなす

初めまして、悩み事拝見させて頂きました。前向きになれないとありましたが、その人その人で顔や体の大きさが違う様に一括りでは判断が出来ません。自分にとって幸せだと思えることが他人には全く思えないなど、人それぞれ違います。現在普通に生活が出来ておられるなら、既に前向きであり前進している確かな証拠です。もし全てに於いて後ろ向きならば普段の生活までおぼつかなくなります、他人から見て前進していない様に見えても一日一日をしっかりと地に足をつけていればこそ一日一日を無事に過ごせます。先ず後ろ向きでは歩けませんよね、前を向いているからこそ歩けるのです。
皆んなが、こうだから私は前向きではないなど思わず自分自身にとって例え少しの前進でも自分に自信をもって貴方はこの世で貴方しかいないのですから大切に毎日をお過ごしください。応援しております。

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真田 敬史(旧・竹前)
皆様、私は僧侶としてこの時代何が出来るか絶えず自問自答しておりました。いま...
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質問者からのお礼

遅くなりましたが、本当にありがとうございました。
私は私でしかなく、他の何者にもなり得ない。
過去の積み重ねの上になりたつ現在を必死に生きてみようと思います。

けれど、唯一相談をできる母親にでさえ、「いつまで昔の事でうじうじ言ってるんだ、バカじゃないか」と言われてしまうと辛いです。
あの人達はもしかしたら、こういう理由で私にあんなことをしたのだろうか、こんなことを感じていたのだろうか、と、客観的にどうだったのかを考えながら、自分の中に折り合いを付けることでさえ愚かな行為なのかと、そう感じることは辛いです。

しかし、私は私として、生きていくしかないのだな、と思いました。

家族も既に居なくなってしまった友人だった人々も、結局は私ではない他人だったのだと、そこは割りきりながら、後ろ向きでも前向きでも今を生きていきたいと、そう思います。
本当にありがとうございました。

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