病気と思い込む。
12年前に自分が気づかないうちに妊娠高血圧症候群になり、子供を1312グラムで緊急帝王切開で出産してから私も子供も生死をさまよい大変怖い思いをしました。その数ヵ月後、夜中にお腹の激痛に何度も襲われ転げ回るくらいの痛い思いをしていろいろな検査をして胆石とわかり手術をしました。こういった過去の経験から今にいたるまでなにか体に症状があると大病になっているのではないかといろいろ心配になり、検索してみては不安になったりの繰り返しです。ちなみに子供は二人いまして下の子も660グラムで生まれて大変でした。が、二人とも何事もなく奇跡的に元気に育っています。ほんとにありがたいことだと感謝の気持ちでいっぱいです。
ですが、こんなすぐに病に結びつけてしまう自分の性格が嫌で。気持ちをどう持っていったらいいかわかりません。
よければ回答よろしくお願いいたします。
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病は気から
初めまして、悩み事拝見させて頂きました。
実は私も帝王切開で生まれました。私の母も傷口がくっつかず大変な思いをしたそうです。
何か親に悪い事をしてしまった様な罪悪感が湧き上がってきます。唯一の救いはお寺の跡を継ぎ僧侶となって悩んでいる人を少しでも救ってあげなさいとよく言われます。仏の弟子になり修業をさせて頂き僧侶になりました。もちろん不安がないと言えば嘘になりますが、不安がないとまた人を救う手立てが分からない僧侶になったと思います。不安がいっぱいだから信心があると思っています、人は一人では生きていけない不安がない人はいないと思います。どうですか?不安の二文字が重く心にありませんか?不安の正反対が実は安心なのです、安らぎがないが不安、安らぎがある心持ちが安心なのです。どうでしょう不安が心に浮かんできたら安心を心で唱えてみませんか、いつしか心が安心で満ちてきますよ。大丈夫大丈夫大丈夫です。
心配なら受診するしかない
人間は、どうせできることしかできないんだから、できることをすればよいだけです。
病気が心配なら受診して確かめましょう。
受診して、医師でも発見できない病気だったら仕方ありません。
あなたは、できること(受診)をすればよいだけです。
あと、わからないことをいくら考えても、やっぱりわかりません。
思考の堂々巡り(くりかえし同じことを考えてしまう)に陥ったら、思考をやめましょう。
新しい情報を得れば、新しい思考ができます。
しかし、今ある情報の上でいくら考えても、同じ考察のくりかえしになるでしょう。
新しい情報を得るために、具体的に行動しましょう。
もちろん、諸行無常ですから、いつ病気になるかもしれません。なので、病気の可能性を考えておくのは悪いことではありません。