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出家について

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私は、虐待されて育ち、つい最近まで『虐待によるPTSD』によるフラッシュバック等に苦しみ、22歳で実家を追い出された時には、体重38キロ程度で水しか飲めず、高校時代の教諭を頼り…生活保護に入りました。
その後、保護を施しと感じた為に辞退届を提出し、大手メーカーに就職。
その頃、父から紹介された男性と結婚しましたが、父が元主人に借金をしていることが分かり、更に催促があると言われ、短期間で不仲になり離婚しました。
31歳になる今、社会人でありながら大学にも通っており、貧困は何故生まれるのか?自分のような哀しみを背負う子供を少しでも、救済したいと考え、当初、社会福祉士を目指しておりました。
そんなある日、下腹部の傷みから嚢腫がみつかり、すっかり喪失感と傷みで動けなくなっていた時に…。
ある人に、『自分は7年間の修行を終え、まだ未熟ではあるが、一人の女性を祈り救う使命を師から授けられている』と言われ、無償でご祈祷をして頂きました。
初め、半信半疑ではありましたが、勧められる通り、墓参りへ行き、その頃から不思議な夢、鈴の音、声など特に敏感になり、小さい頃から怖い怖いと思っていた霊感のようなものが、違う形で開いたのが分かりました。
それから、先祖を降霊し、母に愛されるが為に愛を伝え、父を説き伏せました。
私の先祖は天皇皇族より派生、親王より臣籍降下してからは、海軍参謀、総理大臣家へ嫁ぐなどし、祖父の代まで華族で、代々、神道です。
血脈故か分かりませんが、私は誰も怨まず、怨み苦しみ亡くなった方に、徳を積まれて亡くなり神格化されているような方を降霊させて頂き、浄化する。俗世から離れ、日々祈る生活が出来ないものかと、最近考えるようになりました。
神道の出家と言うのがよくわかりません。
女性を僧として、受け入れて下さるお寺、出家の方法など、詳しく教えて頂きたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出家とは

出家とは多くの人が形の上の出家を出家と思って得度を求めますが、実質的な出家をするべきです、と私はお願いしています。
結局、人間、僧の衣をまとうと満足してしまうのですね。
どこかの宗派に所属して❝僧❞になる、資格を取ることで僧になった、という自己願望、自己実現をして終わりです。多分質問者様は、とにかく出家をしたいというお気持ちでしょうから、私の意見は受け入れられないと思いますが、マァ読んでくだされ。
カタチの上で出家する前に、在家出家に関わらず、ご自身がその身そのままで、自分の思いから出家することです。あなたが述べてこられたような家系やら、お家意識、過去にこうだったというご自分の思い、霊感だなんだと思う自己意識、そういうたぐいの一切から、精神的に抜けでるのが出家の本義でしょう?
自分が自分の思いに支配されないことです。
自分が自分の思いに支配されていると、自分の持ち物、過去の自分へのつかまりごと、とらえ、執着が起こる。
お気づきかと思いますが、あなたの質問の中身が、あなたの持ち物なのですよ?
それを持ってしまっている、持たれてしまっている、取り込まれてしまっている自分の意識に気づいてみましょう。
人間や僧侶たちは、日ごろ相手、他人、過去のこと、自分にとって困る事、そういう思いの数々…そこから出家しないで、どこの家から出るというのでしょう?何を以て出家したと言えるのでしょう?
この話が分かるということは、あなたが形の上の出家にこだわらなくなる、ということです。
まずは、そちらが先です。それ以外の出家はありません。
そういう出家でない出家を希望するというのは、個人の都合、出家への逃避行動とみなされかねませんので、まずは!ご自身の今も沸き起こる自分を苦しめる思いからの出家を果たして見せてください。
この考えが受け入れられないようでしたら、他の僧侶の意見を取り入れて頂いて結構です。
…、ですが、いずれ、必ず、そこにぶち当たるのです。
厳しいことを申し上げましたが、まぁ心の片隅にでも。
え?ダメ?オレがアナタの家からでてけって?
失礼いたしました(;´・ω・) 無事、自身の思いからの出家、実際の出家が叶いますことを祈ります。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様
ご回答ありがとうございます。
ご祈祷頂けたお陰で、PTSDは寛解し、特に過去への執着や怨みはありません。
ただ、助けに現れた先祖、私が繋ぎ止めた命、人生において起きた感動的な出来事を忘れ去ることはないでしょう。
全てを忘れることが出家であれば、私には出家は不向きです。
現実世界で自身の経験を活かして、実務にて活動して参ります。

すいません。有り難しを沢山押してるんですが…。システムの不具合です(;A´▽`A
親身になって頂き、88有り難しでお願いします(笑)
善いお歳をお迎えください(o^O^o)

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