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自分のあり方について

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有り難し有り難し 23

いつも拝見させて頂いてます。よろしくお願いいたします。

私は一年程前に鬱と診断され鬱と共に生きています。

職業柄他の人には言えず、彼女だけに伝えています。
今、仕事を移るために職場を辞め、新しい職場を探しています。
しかし、なかなか新しい職場が見つからず自分の気持ちが黒く塗り潰されるように感じて、全てに自信が持てず、一人部屋に居ると自ら命を絶つことしか浮かびません。

今はまだ死への恐怖が上回り、行動には移せませんが、いつか自分がふと行動に起こさないか心配です。

彼女一人に負担がかかっていて、このままではいけないと自分でもわかっているのですがどうすることも出来ません。

今は全てに依存していると感じます
私自身鬱は無くならない、誰にでも有り、一生付き合う物と思い生きるつもりです。

このまま鬱と共に私は自立し生きて行けるでしょうか?

私に今信仰してるものもありません。
宗教とは心にある基盤に寄り添う物だと感じています。
神や仏に縋り生きて行く事は自立になるのでしょうか?

このような質問をするのは初めてで文も纏まらずすみません。

私自身命を軽んじる気持ちはありません。
ですが、今自分の命の価値は感じられません。

希望が欲しいです。

無理な事を押し付けて申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

うつであることを嫌わないようにしましょう

人間みんな死亡率100%です。
自ら命を絶たずとも私もいつか私もおさらばです。まずは、自ら命を絶つことだけは誰も救われないのでそれだけはやめましょう。
知人に長年ウツの方がいまして、よくお酒を共にしていました。
よろこばしい事に最近に急にうつが治ったそうです。
「うつが2週間で治る本」とかいう本でケロリと治ったそうです。
❝自分を責める❞のが止まったそうです。
以前も読んだことがあったそうなのですが、本に書かれていることの真意を理解したそうです。
原因は、病気の方にあるのではない、という事だそうです。
原因は、誰かのせいではなかったそうです。
それを嫌ったり、自分を責める事の方が、問題なのです。
ウツのせいにしていませんか。
何かのせいにしていませんか?
自分を責めるような考えをしていませんか?
それが、誰かほかの人のせいだと思っていませんか。
思いのペダルをこぐのを止めましょう。
坐禅でうつが治る人もいます。
考え事がやんで、事実の世界を生きるようになるからです。
坐禅は老若男女、病人でも誰でもできます。イスでもできます。
それによってどうなるかと言えば、病人は病気であることを厭わなくなります。
年輩者は自分が老いていても老いを厭わなくなります。
たとえ自分が世間でいう所のそういう苦境に当っても、それをそのままにできるのです。
考え事や、思いを重ねないからです。
人が苦しい時って絶対に考えゴトしてますよね。
今の事実の上に、考え事のふりかけを注ぐのですよ。
だから、考え事してない時って、絶対に苦しみって起こらないのです。
余分な注ぎ事が無いからです。
思いのペダルをこぐこのを止めましょう。
やめようと、思い立たせましょう。
それを頭の中でやっているだけでなく、実行しましょう。

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有り難し
おきもち

自ら命を絶たないと私と約束して下さい。

習慣さん。
鬱をかかえながらの転職、ご苦労が多いことと思います。
どうか、焦らず、思い詰めず、ゆっくりじっくりとを心がけて頂けたらと思います。

鬱とともに歩むと言う事は、人生の価値観を転換する善いチャンスでもあります。
人生の価値観を変える事で鬱は人生を楽にしてくれる事があるように思えます。

足りないものや出来ない事を数えるのではなく、
今あるもの、今出来る事をひとつずつ数えてみて下さい。

鬱である事を話せて、支えて下さる彼女がいらっしゃるとの事ですね。
何よりの宝ではないでしょうか?
貴方が身につけている仕事の技術。これも損なわれる事の無い宝物ですね。

負担をかけてすまない、という思いを「ありがとう」という感謝に変えてみましょう。

「お金」や「名誉」よりも
人との関わりで起こる「慈愛」の方がはるかに価値があると思うのです。

宗教は暗闇の峠道を歩く時の懐中電灯にあたると思います。
歩くのは本人です。

でも、その歩みが道を踏み外して崖から転がり落ちないように、しっかりと足元を照らしてくれるもの…それが宗教だと思います。

私自身、波瀾万丈な人生を歩んできましたが、今の自分があるのは宗教のおかげであると強く強くそう思っています。

お寺の瞑想会や坐禅会、または法話会などに足を運んでみてはいかがでしょうか?
もし、宗教という言葉がひっかかるのであれば、最近はマインドフルネスが流行っているようですから、そちらも善いかもしれません。

どうぞ、ご自分を大事になさって下さいね。
自分が自分らしく生きる生き方が見つかりますようお祈りいたしております。

余談:前の職場では雇用保険には入っていたのでしょうか?
ハローワークで雇用保険を頂く時に鬱と診断されている事を言えば
就職困難者として失業保険の受給期間が伸びます。

追記1:寺子屋等何か外に向かっての働きかけのあるお寺なら相談に行かれても大丈夫だと思います。ただし、事前に電話でお寺の忙しくない時を聞いて相談の約束を取り付けてください。布施は境内の掃除や落ち掃きなどでも良いと思います。
追記2:もし、失業保険の受給の間に仕事が見つからなかった場合は各都道府県の福祉協議会から生活福祉資金貸付を受ける事が可能であると思います。失業保険が終わる頃、必要になりそうな時に各都道府県の福祉協議会にお問い合わせください

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有り難し
おきもち

仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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仏様の話を聴聞してほしい。

モノの価値は自分が付けるのではありません。
自分以外の存在が価値を見出してくれるのです。
習慣さんが「自分の命に価値を感じない」と思っているのは事実でしょう。
しかし、価値があると言ってくださる仏様がいます。
私たちの命を見捨てることができないのが仏様です。
そんな仏様の話を聞いてからでも死ぬのは遅くありません。

仏様が私の為にどれだけのご苦労をしてくださったか。
ご苦労を聞かせて頂くとき、少し私のいのちの価値を知ることができるかもしれません。

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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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質問者からのお礼

悟東あすか様ありがとうございます。

私は以前友人にお寺の息子がいてそのお寺の寺子屋に行っていました。
なので、私自身宗教への考えは『支え』『信念』だと思っています。
なので差別や偏見などは持っていません。
もう一度お寺へ行き、自分を見つめ直したいのですが、気軽に行って良いものか、あとお恥ずかしい話、今の生活で貯金も尽きてしまい、お布施なども出来ない状態です。
そのような時でもご相談だけでも行って良いものでしょうか?
あと、心配して頂いた保険は今申請中です。

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