こんにちは。 会社の上司が亡くなりました。元々病気だったわけではなく、脳梗塞で突然のことでした。 上司とは6年間隣の席で、仕事以外でも大変お世話になりました。人生の良き先輩に出会えたな、と実感した矢先に突然のお別れです。このご時世で会社は皆テレワークをしており、会社へ行くのは月に2回程度。お別れの実感がないまま、机にお花を手向けております。 さて、ここからが質問です。 上司は直葬だったそうです。生前の世間話の中で菩提寺は聞いたことがあったのですが、ご家族の方がそちらに納骨される様子がなさそうです。 この場合、菩提寺に私がお参りに行っても納骨されてないので供養にはならないのでしょうか。 上司は曹洞宗で、信仰心のあつい方でした。そのような方が直葬かと思うと、私は宗派は違うのですが、悲しく切ない気持ちになります。 もし、供養となる方法があればご教授ください。 今は上司とご先祖様にむけて、般若心経を読む日々です。お経によって少しでも灯がともされていれば良いのですが。
祖母が先日亡くなった者です。 葬式も終わり、現在は四十九日法要と納骨後の段取りを決めているところです。 しかし、遺骨について少々困っていることがあります。 祖母は入院中の突然死でしたので、遺言書も口頭での死後の整理についての指示も残されていません。 何より、分骨や仏壇の大事にしていた仏像などの管理については一言も話を聞けていませんでした。 この先どのように供養すべきか検討していると、 叔父が私と母に無断で「長谷寺に分骨をする」「仏壇の仏像は俺があげたものだから回収する」と言って問い合わせなどし始めているのです。 勿論生前から祖母が希望していたり祖母が本当に大好きなお寺であったりすれば賛成なのです。 しかし、実際には祖母はあくまでも(失礼な言い方ですが)「美しい観光地」として好んでいました。 更に生前に祖母は母に「(菩提寺はあるけど)出来れば自宅の傍に骨を埋めて欲しい」と話していたといいます。 もしその言葉が本音であればと考えると、菩提寺から遠く離れた縁のないお寺に分骨するのは果たして良いのか悩んでしまっています。 そこで、 ・曹洞宗における分骨に対する考え ・遺族の意向で仏さまの意志と関係なく分骨してしまって良いのか ・分骨した場合、合葬になるということは、骨が他人のものと混ぜられてしまうのか ・祖母が好んで仏壇に置いていた仏像はそのまま置いておくべきか 以上について伺えたらと存じます。 何より祖父と叔父が仏教についてあまり詳しくないので、 祖母の意志と関係なく暴走してしまっているのではないかと心配です。 もし宜しければ助言いただけると幸いです。 よろしくお願い致します
お墓を建てる上で2点質問です。 一週間前に、父が他界いたしました。 生前に公園墓地に土地は用意してましたが、今、新たにお墓を建てようというタイミングです。 本家は、曹洞宗で亡くなった父も「我家は曹洞宗である」と申しておりました。 ①本を読むと、お墓には「○」を入れて、「名字」「先祖代々」と入れるのが良いとありましたが、その通りでよろしいでしょうか。 ちなみに本家のお墓には、「○」印も■■家先祖代々」とも石に刻まれておりません。 公園墓地内を見渡すと、○印が入っていたり、「■■家先祖代々」というお墓は見当たらないし、石材屋さんは、「あまり無いですね」と言っていました。 とはいえ、私としては、本来あるべき姿に準じたいと思っております。 お墓に入れる文字をどうすべきか教えていただけますでしょうか。 なお、寺については、本家とは疎遠になっているため、菩提寺はなく、公園墓地の管理事務所に尋ねた所、墓を建てた後に、提携している曹洞宗のお寺をご紹介いたしましょう、と言われている段階で、戒名もそれからいただく予定になっています。 ②「○」印と「■■家先祖代々」と入れる意味合いもご教示いただけますでしょうか。 以上2点よろしくお願いいたします。
初めて質問いたします 曹洞宗の家系です 私の家は昔からある菩提寺さんにお世話になっているのですが 家にも仏壇がありお釈迦様や道元禅師様などが祀られております、またお経も毎朝読むようにしております そこでふと思ったのですが、お寺に出向いてお坊さんにお経を唱えてもらうのはなにか意味があるのでしょうか? お仏壇にはお寺と同じお釈迦様が祀られておりますし、お経も自分で唱えております わざわざ高いお布施を出してまで行く理由がわからなくなってしまいました 宗派によって考え方が変わってくると思います できれば曹洞宗のお坊さんに答えをいただきたいです よろしくおねがいします。
皆様初めまして。23歳茶太郎と申します。 昨年頃から仏教への興味が湧きあがり、近所の曹洞宗のお寺へ参禅させて頂いて8ヶ月が経つのですが、先日そこの御住職から出家のお話を頂きました。正直な気持ちとしては、仏道を歩みたい気持ちと、私のような怠惰な者に仏道を歩むことができるかどうか不安な気持ちの半々あります。 皆様にご質問したいことは2つあり、1つ目は、私には婚約者がいるのですが、そのような未練がある状態で出家してもよいものなのかという疑問です。 御住職は結婚するなら大丈夫だと言ってくれてますが不安です。 2つ目は、御住職からは地方僧堂での修行を勧められているのですが、本山との違いなどはあるのでしょうか?御住職は人数が違うだけと言っていました。(御住職は永平寺で修行されたそうです) お忙しいところ大変恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。
先日、曹洞宗のお寺でお参りしていましたらご詠歌が聴こえてきました。 御詠歌は各宗派にあるものなのでしょうか。 夜勤前、緊張感の中、お参りしていましたが偶然歌を聴き心が癒されました。 御詠歌とはキリスト教の讃美歌のようなものですか。以前より興味が あり質問させていただきました。
ご覧頂きありがとうございます。 タイトルの通り、曹洞宗における一般信徒が本式数珠を所持することについてお聞きしたいと思います。 私事ですが今年の自分への誕生日のプレゼントで曹洞宗の本式数珠を買いました。その後も色々と数珠のサイトやhasunohaを見ていくうちに「曹洞宗では法要の導師以外のものは数珠をもたない」という1文を見かけました。 そこで質問と申しますか確認なのですが上記の1文は法要に参加するお坊さんの中で導師様は身につけ、そのほかのお坊さんは持たないという意味で一般信徒が本式数珠を持つことはよろしいと考えてよろしいのでしょうか。 何卒ご回答の程宜しくお願い申し上げます。合掌
曹洞宗のおつとめと坐禅のタイミングについてお聞きしたいです。 インターネットで得た情報によると朝のおつとめの前に10分から20分ほど坐禅。夕方のおつとめの後に10分から20分ほど坐禅。とありました。これでいいのでしょうか?また、それ以外に昼の坐禅をしてもいいのでしょうか? それと通販で15号のお仏壇と仏具がセットになっているものを購入したのですが、仏具の色が白で無地の物が届きました。 これは四十九日用のものでしょうか? 通常の時は使わないものなのでしょうか? それと仏壇のろうそくの替え時ですが、短いろうそくを使っているものでおつとめの時新しいろうそくに火をつけて、おつとめを終えて消して、まだろうそくは残っているのですが、次のおつとめの時そのろうそくを使うとおつとめの途中で燃え尽きてしまいます。この場合どのタイミングでろうそくを変えたら良いのでしょうか? おつとめが終わってろうそくが残っていても替えるべきでしょうか? おつとめ中にろうそくが燃え尽きたら替えるベきでしょうか?
曹洞宗の在家の朝のおつとめはどの順番で読んだら良いですか? 宗務庁から出ている「曹洞宗在家勤行聖典」という経本を買ったのですが宗務庁という官から出ているという事を通販で買って家に届いてから知りできれば民間から出ているものを買いたかったという思いです。 理由は他の本も買ったのですが偉そうな印象を受けるのです。 節約をしつこく勧めてきたり、こう生きねばならないという事を断定してきたり、そもそも官から出ていることをホームページではわかりずらくし、曹洞宗代表のようなデザインのホームページにしているのにもずるさを感じてしまいます。 そんなところから出ている経本なので「大丈夫か?」という思いがあります。 いくつもお経などがあるのですが、朝のおつとめは「開経偈→懺悔文→三帰礼文→三帰礼文和訓→三尊礼文→摩訶般若波羅蜜多心経→本尊回向文→四弘誓願文」という順番になっています。 できれば永平寺式にいきたいのですがこれと永平寺式は異なったものでしょうか? それとお線香やリンを鳴らすタイミングはいつでどのようにすれば良いでしょうか? それと昼や夜にお経を読む場合は何をどのように読んだら良いでしょうか? 来週の火曜日に初めて買った仏壇が届き今まで仏壇にふれる事が皆無なものでなにもわかりません。 教えてください。 お願いします。
曹洞宗の念珠の開眼??(魂を入れる??)の方法について教えていただけませんでしょうか。 つい先日、ビビッと一目惚れした念珠を購入しました。正式の念珠で、略式ではございません。今までは数珠や念珠の類いはあまり興味がなく、お参りに気持ちがこもっていることが大事だと思っていました。近年はお寺さん巡りが趣味になっており、気に入って購入した念珠ということもあり、曹洞宗のお寺さんには一緒に持っていきたいですし、作法もきちんとしたいと考えております。念珠に魂を入れるにはどうしたら良いのでしょうか??あるいは特別なことをしなくとも、お参りにいつも持って行き、気持ちがこもっていれば、それはそれで良いのでしょうか?? 恥ずかしながら、宗派は曹洞宗ですが、作法に詳しくはないので、ご回答をよろしくお願いいたしますm(_ _)m
最近、仏教に興味があり、仏教の本を読もうと思っているのですが、大学図書館においてある本は仏教史などが多く、読みづらいです。仏教の教えについての本で、お坊さん視点でオススメの本はありますか? それから、仏教の中でも曹洞宗に興味があるのでそちらの本も教えていただけるとありがたいです。
僕は曹洞宗の僧侶に将来なります。質問です。曹洞宗の得度式の手順を教えて下さい。後、得度式で頭を剃るんですか?それとも自分で事前に剃るんですか?福島の寺で得度し、永平寺に修行に行きます。何ミリにするんですか?
諸師家様方お疲れ様です。 さて、未だに安居も法戦もままなりませんが、愚禿はこの度漸く伝法(嗣法)、瑞世までの道程を考えて歩ける程度に法灯を賜りました。 そこでこの度安居に入る前に、一つ諸師家様方に「本師としての嗣法のリスク」をお伺いしたくございます。 と言いますのも、可能であらばどうしても嗣法をお願いしたい師がおり、僧堂に往く前にダメ元でも、送安後に、嗣法して欲しいと頼みたいのです。 ですが、背景として「結制していなければならない」だとか「多額に負担がある」だとか「住職後任として世話しなければならない・檀家に公表せねばならない」だとか易々とは行かぬこともあるのではと思ってしまうのです。 私はその師の寺の副住職になって養子になりたいだとかそんな気持ちは無いのです。只、その師を本師と仰げれば何よりであると思う迄であります。 もちろん、嗣法頂ければ、次代の方丈(例えば血縁の婿)が来た際、粉骨砕身して作務を檀務を支えるつもりであります。 そんな気持ちで嗣法賜ることを願い出てもよろしいのか、師家様方にお伺い致します。 どうぞ宜しゅう。合掌九拝。
学道用心集で書籍の文籍ばかり~や歴代仏祖の名前を唱えるばかり~と言っているのに肝心の曹洞宗はそれをまだやめないんですか?
現在、高齢の叔母がいます。 叔母は嫁いだ先が曹洞宗で、その旦那さんはすでに亡く、子どももいないので独り身です。 旦那さんの墓は老人ホームに入居する際、墓をなくしました。 終活ということで、将来どうしたいか訪ねたところ、「迷惑になるから、散骨でもして」と言います。 出来ることなら、実家である本家の墓と仏壇にと思っているのですが、他の叔母に聞いたところ「そんな話は聞いたことがない。家を出たのに仏壇に入れるのは反対だ」と言います。 墓については悩んでいたみたいですが、こちらもカッとなってしまい、「仏壇には入れず、墓に入れても、浄土宗の坊さんが念仏唱えるやろ!」と言ってしまい、墓の話もなくなってしまいました。 私の考えとしては、もし高齢の叔母が望むなら、仏壇墓に入れてあげたいと思っていますし、宗派関係なしに、故人を想うことが本来の仏教であるとも思っています。 どうしてあげるのが一番良いと思いますか? よろしくお願いいたします。
お坊様方ははっきりとはおっしゃってくださらない方が多いのですが、曹洞宗のお坊様に質問がございます。 ある老師様をご自ぼうから離れた他県にお招きして(新幹線を乗り換え、つまり2回新幹線に乗ります。)一泊二日で一日目に老師様におつとめをして頂いて、二日目は簡単に観光をして頂いて、また新幹線を2回乗り継いでお帰り頂くのですが、老師様は「交通費だけ頂けば良い」とおっしゃっています。 宿泊は曹洞宗の在家の方のお宅にお仲間数人と老師様と一緒に宿泊させて頂きます。 老師様にお渡しする御宝前はどの位の金額が良いのでしょうか? 曹洞宗のお坊様に教えて頂きたいのです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
すみません、タイトルはあるお坊さんから見られないようにするためのものです。 相談です。 私は在家出身ですが、運よく師僧に恵まれました。 その師僧と友人が、私が精神病で実家で自宅療養していることについて、私の病状もよく知らないで、障害者なのを言い訳して実家で自宅療養するな、独り暮らししろ、親が自立を許してくれないなら失踪しろ、成人したら失踪して親を困らせても構わない、と言ってきました。 実家を出て就職して独り暮らしするには、作業所の管理人や主治医の判断が必要になるのに、それを言い訳にするな、だの言ってきて。 自立しろというのはわかるんですが、そのために失踪して家族に心配かけても構わない、成人なんだから、とかおかしくないですか? 師僧も友人も上記のような意見で追い詰めてくるんです。友人のほうは子供扱いして罵詈雑言並べ立て、私は謝ったのに一切謝罪なし。 師僧いわく、本当の親孝行とは社会に貢献することであって親に心配をかけないことではないから失踪して家族を心配させてもいいんだそうです。実家で療養して働いておらず、社会に貢献していない障害者はみんな親不孝ということです。 障害者がみんな実家を出られるわけじゃありません、ひとによって病状が違うからです。 裏切られた気持ちで落ち込んでいると、裏切られたくらいで怒る私の器が小さいんだ、とも言われました。 ひとりで大泣きしました。この出来事のせいで最近まで治っていた幻聴が再発し、心もずたずたです。いまも泣きながらこれを書いています。 私が可笑しいんでしょうか? 皆さんどう思われますか?
こんにちは、宜しくおねがいします。 生き方について悩みが多く、暴れる心をなんとか鎮めたいと最近、 浄土真宗の聞法に通っています。 随分昔に死んだ明治生まれの祖母を思い出したからです。彼女は封建的な夫に黙々と仕え、息子に戦死されても、一人娘に急死されても、毎日の日課を黙って静かにこなし、仏壇になんまんだを唱え、老いては子に従い、右を向いていろといわれれば右を向き、左を向いていろといわれれば左を向いているような、大切にはされていたのでしょうが全く存在感のない祖母でした。無口で静かでしたから声も覚えていないのです。すっかり忘れていたのです。 ところが、自分も老境に入り、しかしいまだ心穏やかならず、怒りや貪りに振り回され苦しむ有様で、あの諦観したのか、または阿弥陀様にお任せしきったのかのような祖母の姿が私を聞法に向かわせました。 しかしこの身はしぶとく、聞法をいただいている間は少しは素直な気持ちになるのですが、それもなが続きしません。 第一、近代教育を受けた私には、「はからいを捨て、お任せする」のは難しいです。はからうことばかりを目指し、学び、訓練してきたのですから。もしかすると、もっと死が近づいたら少しはそんな気持ちが持てるのかもしれませんが・・・ ただ、三木清が言うように「自分は最後は親上人の言葉どうり、あの世で懐かしい人たちに会えることを信じている」のは私も同じです。 問題はあの世のことでなく、日々の生活で心配や怒りや嘆きに振り回されることです。 そんな私が禅宗の教えで行住坐臥を整えることや、禅の言葉に従うことで、少しは苦しみから離れられるように思うことがあります。 子供のころ永平寺を訪れて、「こんな風に生きている人もいるのだ」とショックを受けたことから大人になって、禅林句集や道元禅師を読むようになりました。指針になります。 阿弥陀様にお任せできない私が曹洞宗に頼るのはいけませんか? 浄土真宗では一筋でないといけないと聞きます。お任せしきらないといけないと聞きます。浄土真宗と曹洞宗の二股みたいで罪悪感があります。 迷える私にお言葉をいただきたいです。 宜しくおねがいします。 とんぼ
大動脈破裂にて、70歳で父が急死しました ほんの10分程、母が父の側を離れた時に倒れ、帰らぬ人に… でも、顔は穏やかで、納棺師の方からは「体が硬化せずに滑らかです!苦しまなかったと言う証拠ですよ〜」といって頂いたのが何よりの救いです ですが、母には後悔がひどく自分ばかり責めて、どうにかなりそうです。 周りから呆れられるほど、一日中どこに行くのも一緒だったので、ショックも計り知れません。 しかもお店の1つもない田舎で、父にあちこち連れて行ってもらえていて暮らしていたため一人では厳しい…のに、私(娘)や孫と小さい家でも借りて、一緒に住もう!と提案しても、田舎にいるの一点張り!お骨もずっと手元に置きたいというし 現実、墓を買わないと行けませんが、すぐに買える余裕がなく49日には間に合いませんが、どのくらいまで手元に置いても良いものなのでしょうか? そもそも父は、死んだ事に気付いているのでしょうか?(私は若い頃、心肺停止で臨死体験をした際に、暗闇の中から祖父が現れ、付いて行こうとしたら子供が居るんだから!と言われ、ハッ、として戻されました、あの世には、その続きの世界があるのかな?) 日々の生活の中で仏様とは、どう接したら良いのでしょうか? とにかく、私が父と母に出来る事、言ってあげられる事がありましたら、ご指導よろしくお願い致しますm(__)m 初めての仏壇で、日々のルールさえ、あまりわかっていません。父に何をしてあげたら? 仏様が、喜ぶ事、悲しむ事などなんでも教えて頂ければさいわいです お忙しい中恐れいりますが、よろしくお願い致しますm(__)m
私はおよそ1年前、曹洞宗にて在家より得度しました。 子供の頃より佛の道を志しており、僧侶としての道程に足を踏み入れ、僧籍となった得度式はいつまでも私の良き思い出です。 さて、とはいえ私の僧侶生命も始まったばかり。坐禅も正法眼蔵も法式もサッパリ、曹洞宗の組織や寺格も分からないことばかりです。 そんな宗門に無知の私には今最も気掛かりなこと、不安があるのです。それこそが本質問の表題、安居の年数です。 私は色々な事情、因縁から高校を中退、最終学歴は事実上の中卒。安居となればその期間は学歴に応じるものと云うことは流石に承知しています。私は財も時間も与えられなければこの中卒のまま、安居に入ることとなります。 私は長い期間の安居でも構わないと思いたいのですが、何処か思いきれない、雲水の雲水たるに成りきれない愚か者です。度々制中の期間が変わっていると聞いては、今日の中卒の身の安居は、一制中何ヵ月で何制中なのか、と日々気に掛けています。 達磨大師に問えばあしらわれる様な愚問ですが、どうか師の皆様に、私の、中卒の安居の現在の状況について教えて頂きたく思っております。説教、警索でも喜んでお受けします。 合掌低頭。