曹洞宗における死後観について
例えば浄土真宗は阿弥陀如来の西方極楽浄土へ往生するという考えですが曹洞宗においては死後どうなると考えられているのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この世はいつでも誰かの死後、誰かの来世。だからこそ報恩行。
別に曹洞宗ではこうだ、というわけではありませんが、死後の世界というとすぐに人は行ったこともないのにどこかに特殊な世界を思い浮かべます。
本来、前世とは一秒前。来世とは一秒後。この世は永遠に今を置いてほかにない。
生者も死者もおおよそ共にこの世を離れたことがありません。
世界に大きな影響を及ぼした人でも今もこの世に作用・影響力として生き続けています。つまり死後の世界も生の世界もともにこの世。
今ここ。この世界こそ、永遠に続いているわれわれの「生」の世界であり、同時に先人がたの「死後の世界」。同時内包。
永遠に走り続けている生死を超えた列車のようなもの。宗派や誰かが言った説ではなくあなたが真実に眼を見開くべきことです。
原始の時代からずっと無常、無我、寂静っぱなしで永遠にあり続けている姿をしているのがこの世、この世界の大真実であり、その最先端モデルこそが今日の今ここ、この時代です。沢山の生命、生物、人間が無数無限に誕生して、共にさまざまな歴史を経てその流れの中で今現在のLIVE中継。あなたも死者もその大きな世界と歴史、エピソード、列車の中の一員なのです。
われわは生きているだけでも先人様たちから多大な「お布施」を受けているのです。ここでいう布施とは、恵、恵まれ、恩恵。施されていること。布施というとお寺や坊さんにおさめるお金のことだと誤解される方も多いでしょうが、そうではありません。生きていれば生きているだけで授かりがある。学びがある。いただくことが無数にある。それも布施なのです。
先人がたが築いて下さったベース、産物、布施の数々があるからこそ、今の時代でも苦労せずに暮らせていたのです。報恩感謝。
こうして瞬時に遠方の人と文書やり取りができるツールがあり、山や海に狩りに行かずとも手に入る食事。先人たちが生み出してくださったアイデアによる様々な技術、製品、教え。そしてあなたもそのバトンタッチをする役割を持つ人です。
では、人は亡くなったらどうなるのか。
あなたにとって大事な方も、そうでない方も亡くなられれば、縁ある方への作用体、影響力、精霊となって生き続け=作用としてあり続け=作用し(生き)続けていくのです。釈尊も影響力として多くの人を救っている。
テロリストや戦犯、独裁者は永遠に恨まれ続けるでしょう。
だからこそ、人はいい加減な生き方をしてはいかんぞ!ということなのです。
こんにちは。
なかなか答えが入りませんね。
「死後の世界に実際に行って帰ってきた人はいないので、わからない。それについて考える時間があったら、修行に励みなさい(今を全力で生きなさい)」という考え方があるので、答えようがないのだと思います。
仏教学者で駒澤大学名誉教授桜井秀雄の著書「曹洞宗回向文講義」の中に、曹洞宗の葬儀に関する解説があります。長いので引用は省略しますが「禅門においてさえ浄土信仰が入りこみ」とあります。もちろん諸説あるかと思いますが、浄土信仰的な考えに依っていると考えていただいて良いのかもしれません。
質問者からのお礼
なるほど浄土信仰的な一面もあるのですね。とても為になりましたありがとうございました。