人の不幸を願ってしまう
友人の不幸を願ってしまいます。といっても、強く念じるように願うわけではないのですが。。少なくとも幸せを願う事はしてません。
友人の不幸話を聞くと、表向きは心配そうにして、でも、心の中では自分より不幸だと思い、安心してしまうのです。
具体的には、例えば、同じ年頃の子をもつ友人に対して、友人の子になにか障害があればいいのに、と思ってしまいます。何故、そんな事を思うのか?はっきりとはわかりません。でも、障害があったらかわいそう→うちはないからよかった、と。根底には、自分の幸せを感じていたいという気持ちがあるのだとは思います。
他にも、結婚願望があるのになかなか良い縁にめぐまれない友人が、新たに付き合った相手が、フリーターで、しかも何十万とお金を貢いでると聞いた時、友達なら本気で心配し、とめるべきなのでしょうが、まだしばらく幸せな結婚はしなさそうだなと安心してしまいました。
友人たちの事は大好きで一生付き合っていきたいと思っているのに、不幸を願ったり、不幸話を聞いた時に心配ではなく安心をする自分が、嫌になります。
いつか、この心の声が、表に出てしまって、友人との関係にヒビが入るのでは?と怖くもなります。
どうすれば、このような考えをなくすことができますでしょうか?
良きお言葉いただけたら幸いです。よろしくお願い致します。
お坊さんからの回答 1件
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あなたや皆様に幸多かれと心よりお祈り申し上げます
拝読させて頂きました。あなたの心の中のお気持ちは本当に良くわかります。どうしても周りと比較してしまいその中で自分がましだったら安心するという心理はおそらくどなたにもあります。自分のほうがましだから幸せだ、という満足感はどなたの心にも渦巻いていると思います。
私個人でもそう考えてしまう自分もいることは事実です。ですがそれが本当に自分にも家族にも周りの方々にも或いは大きく人類にも本当に幸せなことかと考えてしまいます。人と比べて優位だから幸せ、と考える心は実は大変貧しい心と考えられます。
人の不幸を見て自分を満足させることは本当は愚かな考えです。自分だけがよければ本当に幸せなのでしょうか?と考えてしまいますよね。
本当の幸せとは人として正しい生きる道とは私もあなたも周りの方も幸せになっていくことそしてその幸せを共に求めて共有することですよね。
でなければ本当にさびしい人生になってしまうのではないでしょうか?
どうぞあなたもご自分の中で自問自答しご自分なりのお答を見つけて頂きたいと存じます。
あなたや皆様に幸多かれと心よりお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
そうですね、おっしゃる通り、大変な貧しい心でさびしい人生だと思いした。
しかしながら、まだまだ”自分と、自分の家族さえしあわせならそれでいい”そんな考えを捨て去ることもできません。
心を豊かにし、人の幸せを願える人間になるには、さらに自問自答していくことが必要のようです。頑張ってみます。
ありがとうございました。