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父の死が頭から離れません

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はじめまして。

昨年の12月に父がなくなりました。

その日の午前まで一緒に居て、出掛けてその日は帰らず、次の日に電話をしたら出なかったのでどうしたのか、と実家に行ったらお風呂場で倒れている父を発見しました。

一生懸命心臓マッサージをしながら、もしかしたらもしかしたら、と思いながら必死で叫び、冷たくなっている父に何度も声をかけました。

しかし、半日は経っているとその後医師の方から言われ、ショックのまま父を見送りました。

それから半年以上経ちましたが未だにあの時の光景や、自分の行動を思い出して苦しくなります。

夜、フラッシュバックを起こしたり、父が1人で逝ってしまったこと、それを私がさせてしまったこと、、
もう父は戻っては来ないとわかっていても、どうしてあの時、、と思ってしまいます。

そして、あの時のことを思い出すとまた同じようなことが起こるかもしれない、自分も近いうちそうなるかもしれない、という恐怖も感じて押しつぶされそうになります。

父が倒れていたお風呂場にもあまり近づけず、実家に帰りたい気持ちもありますが、あまり前向きにもなれずにいます。

この気持ちはいつか、思い出として、私の中で消化出来る日が来るのでしょうか。

本当に本当に大好きでたまらなかった父がこの世にいない事も現実として受け止められない時もあります。

これからどうしたらいいのでしょうか、、教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大丈夫。

私もゆうめぐさんと同じような経験をしました。

家族の亡くなった姿を目にするのは衝撃的で、今も忘れることはできません。

私は妹でしたが、
妹の面影を感じるものはなかなかまだ見ることができませんしね。

でも、
すこしずつですが変わってきました。
落ち着いてきました。
日にち薬とはよく言ったものです。

正直、
死ぬなら
家族に看取られながら、眠るように安らかに息を引き取っていきたい。
これは誰しもの願いだと思います。

しかし、現実は
事故、災害、急病等
いきなり予期せね『死』が訪れるという現実が頑としてあります。

それは、
私にも、あなたにも、誰にでも、
今日かもしれぬ、明日かもしれぬことであるのです。力の及ばぬところです。

ですが、
今日かもしれぬ、明日かもしれぬ。
お互いですが、

『阿弥陀如来』という仏さまがおられます。
この仏さまは全生命の母親です。
『おかあちゃん』です。

『おかあちゃん』は
子供を見捨てません。
出来が悪くとも、おかあちゃんの世話になんかなるかい!と強がる子供も見捨てません。

阿弥陀おかあちゃんは
私達を自分の懐(極楽浄土)へと命終わらんとする時お迎えに来てくれます。

南無阿弥陀仏は
『おかあちゃん!』と呼ぶ声です。

『おかあちゃん!』と呼ばれてほっとけないのが阿弥陀おかあちゃんです。

『おかあちゃん!』の声を頼りに必ず迎えに来てくれます。

そして先立った人たちの待つ
極楽浄土へと連れて行ってくださるんです。

私は毎日『おかあちゃん!』と呼んでいます。
阿弥陀おかあちゃんを呼んでいます。
『なむあみだぶ』と阿弥陀おかあちゃんを呼んで色んなことを思っています。

『妹頼みます』『私もよろしく』『今日何食べようか』『はぁ、なんかありがたいなぁ』など色んなことを思いながら
阿弥陀おかあちゃんを呼んでいます。
そしてそのことで救われています。
いずれはみんなが逝くのです
なにも案ずることはないのです。
阿弥陀おかあちゃんにまかせておけばいいのです。亡き人も、私も。

ゆうめぐさんも
阿弥陀おかあちゃんを呼んでください。
なむあみだぶ。なむあみだぶ。
おかあちゃんは子に『おかあちゃん!』と呼ばれるのが喜びですから。

そしたらそのうちに、日にち薬と相まってゆうめぐさんの悲しみや不安は癒されてゆきます。

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有り難し
おきもち

生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上...
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質問者からのお礼

返答ありがとうございます。
亡くなって半年ほど経ちましたが、今までの思い出が色濃く、半年で消化など出来るわけがないのですよね。

この半年、色々な形を変えて、私に恐怖や後悔が襲ってきます。でも、いつか消化して、そんな想いが薄らぐ時が来るのですよね。

正直、いつまでかかるのだろう、とまだ先が長そうで辛いです。
が、毎日、お仏壇の前に行けなくても心の中でお父さんのことを想い、今日も父をよろしくお願いします。とお願いしたいと思います。

ありがとうございました。

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